900の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/16 05:57 UTC 版)
廃車後、戦前の阪急を代表する車両として、トップナンバーである900のみ解体されずに正雀工場において保管されることとなった。しばらくは廃車時の状態で保管されていたが、1984年に簡単な整備が行われ、前照灯の取り付けやウインドシルの2段化、再塗装などが行われたが、貫通扉が設置されていないなど、中途半端な状態であった。 その後、阪急の創業80周年を翌年に控えた1987年に、技術遺産として新造時の状態に復元されることとなり、翌1988年に完成した。台車はKS-33から製造当初のL-17に交換され、登場時の朱色に塗装された。パンタグラフは東芝製のものから日立K-2-14400-Aへと、登場時のものに換装されたほか、床下機器の一部が、能勢電鉄より譲り受けた600V時代のものに交換、ウインドシルも、能勢電鉄320形のものを参考に新たに製造されたものと交換した。尾灯は車掌台側のみ取り付けられ、運転台側にあった行先方向幕が復活した。屋根も絶縁布が剥がされて鋼板屋根となって鉛丹ペイントが塗装された。車両番号表記・社紋は、車体中央から運転台と乗降扉の間に移され、切り抜き文字の上から白色ペイントされていたのが剥離されて磨き出しとなり、社紋も阪神急行電鉄時代のものに取り替えられた。アンチクライマーは廃車した800系から流用している。転換クロスシートは2800系より流用している。 900は復元後も正雀工場にて静態保存されて、イベント時には先に復元された100形116や宝塚ファミリーランドから引き揚げてきた1形1や10形10とともに一般公開された。その後2000年頃に足回りが整備され、電装品が架線電圧600V仕様であるため自走は不可能ながらも線路上の走行が可能となったため、イベント時には116と併結して乗車会も行われている。
※この「900の復元」の解説は、「阪急900形電車」の解説の一部です。
「900の復元」を含む「阪急900形電車」の記事については、「阪急900形電車」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から900の復元を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から900の復元を検索
- 900の復元のページへのリンク