5大ファミリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 15:28 UTC 版)
「フランク・コステロ」の記事における「5大ファミリー」の解説
1931年にニューヨークの五大ファミリーが整理され、ルチアーノがマッセリアを継いでルチアーノ一家(現在のジェノヴェーゼ一家)のボスになった時、相談役の地位に収まっていた。ウィリー・モレッティ、ジョー・アドニス、カルファノら一家内の支持基盤を固めた。五大ファミリーでは、マンガーノ一家(現ガンビーノ一家)の副ボス、アルバート・アナスタシアと強力なタッグを組んだ。アル・カポネ収監後のシカゴ・アウトフィットの上層部とも強い信頼関係を築いた。 1933年の禁酒法廃止後、多くのギャングは酒ビジネスから撤退したが、そのまま続けるギャングもいた。コステロもその1人で、1933年12月に合法の酒販売会社を作り、輸入スコッチウイスキーを卸売りした。1939年、このウイスキーメーカーの親会社(ロンドン)を買収し、アメリカにおける販売プロモーターの肩書で会社から年俸24000ドルを得た。個人的人脈を使ってアメリカのホテルやレストランへ商品の売り込みをかけるというのが仕事で、ホテル宿泊代やレストラン飲食代が経費で落ちた。 1930年代に最高級ホテルのウォルドルフ=アストリアのスイートで暮らした。部屋が6つあり、執事やメイドが付いた。ルチアーノらもこのホテルに入居していた。後年、セントラルパークウエストの高級マンションに移り住んだ。 1930年代後半、トーマス・デューイ州特別検察官(マンハッタン地区担当)が手当たり次第にギャング犯罪を摘発し始め、多くのギャングがマンハッタンを追われた。ルチアーノや副ボスのヴィト・ジェノヴェーゼは潜伏し、アドニスはニュージャージーへ、カルファノはフロリダへ拠点を移したが、コステロは主力のスロット事業をルイジアナに移していた上、麻薬もナンバーズ賭博もやらず、デューイの捜査線から漏れた。実際はニューヨークで賭場の営業に関わったが(胴元に資金を提供するスポンサー)、フランク・エリクソンをフロントに立て、露見しなかった。合法投資家に転身したビル・ドワイヤーは国税局に目を付けられ、資産の多くを没収されたが、コステロは国税局の監視の網にも引っかからなかった。1936年、ルチアーノが逮捕され、ジェノヴェーゼがイタリアへ逃れると、自動的にルチアーノ一家のトップに立った(代理ボス)。
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