3代目杉浦銀蔵について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 15:08 UTC 版)
2代目杉浦銀蔵の死後、婿養子の松四郎が後継者となり襲名し、3代目杉浦銀蔵となった。松四郎は文久2年(1862年)、幡豆郡駮馬村(後の横須賀村、現・西尾市)の農家棚木佐太夫の三男として生まれた。12歳のとき杉浦銀蔵の沢津屋へ奉公に入る。そこで重用されて番頭となり、1887年には婿養子として迎えられた。 3代目杉浦銀蔵として家を継ぐと、1900年(明治33年)に家業の沢津屋を廃業、家財道具を売却して電気事業経営に専念した。1907年(明治40年)、岡崎電灯は資本金50万円の株式会社組織となる。このとき近藤・田中とともに同社の取締役に名を連ねた。岡崎電灯ではその後田中の跡を継いで1916年(大正5年)12月より社長を務めている。 岡崎電灯は大正時代を通じて規模を拡大し続け、資本金2300万円の電力会社に発展する。さらに1930年(昭和5年)には大手電力会社東邦電力と連携、豊橋地区を含む三河地方に供給する中部電力(岡崎)に再編された。杉浦は同社でも社長に就任し、1933年(昭和8年)11月までの3年間在任した。なお中部電力(岡崎)には、常務として次男の杉浦英一(1896年1月生まれ)も参加し、1936年(昭和11年)12月から翌年8月に東邦電力へ吸収されるまでの期間には社長を務めている。英一はその後1941年(昭和16年)2月に家督を相続し銀蔵を襲名した。
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