2006年のNBAファイナル
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動2006年のNBAファイナルは、同年の6月8日から20日にかけ6試合にわたり行われ、ウェスタン・カンファレンスの覇者ダラス・マーベリックスとイースタン・カンファレンスの覇者マイアミ・ヒートが対戦、マイアミ・ヒートが4勝2敗で初優勝を飾った。ともに本拠地がアメリカン航空がスポンサーだったため、いわゆるアメリカン航空シリーズとも呼ばれた。大会の最優秀選手はドウェイン・ウェイドが獲得した。
両チームのレギュラーシーズンの成績は、52勝30敗のマイアミ・ヒートがイースタン・カンファレンス2位でサウスイースト・ディビジョン1位、60勝22敗のダラス・マーベリックスがウェスタン・カンファレンス2位でサウスウェスト・ディビジョン2位だった。ともにNBAファイナルに進出したのはチーム史上初めてだった。
シャキール・オニールにとっては4度目の優勝で、ロサンゼルス・レイカーズを離れて以降は初めての優勝だった。全盛期にはリーグを代表する選手だったアロンゾ・モーニングやゲイリー・ペイトンにとっては30代後半に入ってからの初優勝だった。ヒートのパット・ライリー監督にとっては監督として5度目で1988年にレイカーズで経験して以来18年ぶりの優勝だった。
戦評
シリーズ最初の5戦は本拠地チームが勝利。敵地で第6戦をものにしたヒートが初のNBAファイナルの覇者となった。初めの2試合を落としたチームが逆転して優勝したリーグ史上3度目の例となった。レギュラーシーズンでの勝ち星が上回るダラス・マーベリックスがホームコートアドバンテージを得ており、7戦目までシリーズが続いた場合はマーベリックスのホーム戦が1試合多くなっているはずだった。
優勝したマイアミ・ヒートはシリーズ全体を通してドウェイン・ウェイドが得点面で活躍した他、シャキール・オニールが攻守でインサイドを支えた。ヒートはアロンゾ・モーニングやゲイリー・ペイトンら控えのベテラン勢の活躍も目立った。またヒートはフリースローが低調な試合が多く、フリースローを苦手とするオニールがファウルをしばしば受ける展開が見られた。
ダラス・マーベリックスの大黒柱ダーク・ノヴィツキーは6試合中4試合でチーム最多の得点を上げたものの、スリーポイントシュートが低調な試合が多かった。マーベリックス全体でもシリーズ終盤ではスリーポイントシュートは低調だった。
日程
第1戦
-
チーム 1 2 3 4 合計 マイアミ 31 13 24 12 80 ダラス 23 23 24 20 90
第2戦
-
チーム 1 2 3 4 合計 マイアミ 17 17 24 27 85 ダラス 18 32 32 17 99
第3戦
-
チーム 1 2 3 4 合計 ダラス 21 22 34 19 96 マイアミ 29 23 16 30 98
第4戦
-
チーム 1 2 3 4 合計 ダラス 25 19 23 7 74 マイアミ 30 24 24 20 98
第5戦
-
チーム 1 2 3 4 延長 合計 ダラス 21 30 20 22 7 100 マイアミ 24 19 27 23 8 101
第6戦
-
チーム 1 2 3 4 合計 マイアミ 23 26 22 24 95 ダラス 30 18 20 24 92
雑学
- シャキール・オニールがNBAファイナルに初出場したのはオーランド・マジック時代の1995年。この時もホームでの2連敗でシリーズは始まった。最終的に4連敗でヒューストン・ロケッツにスイープ(sweep)された。
関連項目
「2006 NBA Finals」の例文・使い方・用例・文例
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
- フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
- 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
- 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
- このメールは2006年に送った。
- あなたは2006年に長野に行きましたか。
- あなたは2006年に長野に行きませんでした。
- 2006年
- トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
- ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
- この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
- 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
- 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
- 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
- 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
- それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
- 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
- その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
- 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
- 入れ替えは,2006年春までに完了するだろうと考えられている。
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