2006年-2012年 浮き沈みの激しいシーズン
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「AG2R・シトロエン・チーム」の記事における「2006年-2012年 浮き沈みの激しいシーズン」の解説
2006年、AG2R・プレヴォワイアンスのUCIプロツアーへの参加決定。それに伴い、クリストフ・モローやフランシスコ・マンセボといったエースが加入しチーム力を強化。マンセボはツール・ド・フランスでの総合表彰台を目指していたが、オペラシオン・プエルトへの関与が明らかになり開幕前日にメンバーから外された。一方チームはツール・ド・フランスでシルヴァン・カルザティが第8ステージで優勝したほか、デセルもマイヨジョーヌを着用し最終的にフランス人最上位となる総合6位でフィニッシュするなど大活躍を見せた。その他にもチームは、ジロ・デ・イタリアではトマス・ヴァイトクス、ブエルタ・ア・エスパーニャではホセ・ルイス・アリエタが優勝するなど3台グランツールすべてで区間勝利をあげた。またデセルはツール・メディテラネアンとツール・ド・ランで総合優勝し、ロワイ・モンドリはクープ・ド・フランスで年間総合優勝を果たした。 2007年、モローがドーフィネ・リベレで区間2勝し総合優勝を達成したこともあり、チームはプロツアーランキングで4位に。またモローはこの年、フランスチャンピオンにも輝いた。そしてジャン=パトリック・ナゾンがパリ~ニース第1ステージで優勝し、ジョン・ガドレがツール・ド・ランで総合優勝。しかしグランツールでは目立った成績を出すことが出来ず、ブエルタ・ア・エスパーニャでのステファヌ・グベールの総合13位がベストリザルトとなった。 2008年、スポンサーの名称変更に伴い、当名称に改称。サミュエル・デュムラン(コフィディス)、サイモン・ジェラン(クレディ・アグリコール)、クリストフ・モロー(アグリチュベル)らの離脱を補うために、ウラディミール・エフィムキンとタデイ・ヴァリャヴェツが加入。この年はツール・ド・フランスでのエフィムキン(リカルド・リッコの降格処分後)とシリル・デセルの区間2勝を含む13勝を挙げた。またこの年加入したヴァリャヴェツはジロ・デ・イタリアで総合13位、ツール・ド・フランスでは総合9位に入った。 2009年、リナルド・ノチェンティーニがツール・ド・フランスで1週間マイヨジョーヌを着用するなどの活躍があったものの、わずか5勝しか挙げることができず年間ランキング17位と成績が低迷した。 2010年、シーズン前半はプロツアーで未勝利で終える。しかしツール・ド・フランス第14ステージでクリストフ・リブロンが独走で制しチームに今シーズンプロツアー初勝利をプレゼント。ニコラス・ロッシュはチーム最上位の総合15位でツール・ド・フランスを完走した。一方ヨーロッパツアーでは例年通りの活躍を見せ、マルティン・エルミガーがダンケルク4日間レース、リナルド・ノチェンティーニがツール・メディテラネアン(アレハンドロ・バルベルデの降格を受けて)で総合優勝した。最終的にチームはプロツアーで1勝、ヨーロッパツアーで15勝、アフリカツアーで2勝、そしてスイス選手権ではエルミガーが優勝。ロッシュがランキング32位に入り、アンソニー・ラヴァールが5勝を挙げた。そしてチームは年間ランキング18位で今シーズンを終えている。 2011年、ジャン=クリストフ・ペローが加入。今シーズンチームは6勝しか挙げることが出来なかったが、ジョン・ガドレがジロ・デ・イタリア第11ステージで区間優勝し、チーム創設以来初めてのグランツール総合表彰台となる総合3位に入った。ツール・ド・フランスでは新加入のペローが総合9位。チームは年間ランキング15位。 2012年、年間4勝(5月に3勝、6月に1勝)でワールドツアーでは未勝利と大低迷。チームはワールドツアーに残留するために、多くのUCIポイントを持つエキゾチックなライダーが加入した。そしてロマン・バルデが加入し、シリル・デセルが引退。年間ランキングは17位に終わった。
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