2006年-2010年:第2次3党連立政権
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2006年11月1日の州議会選挙(スペイン語版)では前回選挙よりおよそ10万票を失うという惨敗を喫したものの、失った議席数はわずかに2議席であった。カタルーニャ社会主義者党(PSC)も同様に議席を失い、こちらはERCより多い5議席を失った。これに対して3党連立与党の中で最も小さい政党であるエコ社会主義政党カタルーニャ緑のためのイニシアティブ(ICV)は議席を増やし、PSCのホセ・モンティージャ(スペイン語版)を首班とする、前回のような党利党略ではなく社会政策を優先させる、騒々しさのない政権運営を遂行することを主眼とする「進歩のための国民協定」という名称の新協定での3党連立の枠組みを維持することに成功した。 しかしながら、新自治憲章に対する国民党の批判に最高裁判事パブロ・ペレス・トレムスが同調する動きに対し、ERCは控えめな批判を行い、その上民族自決の住民投票が行われるまで、連立の枠組みを変えることを検討した。この動きはERCは安定的な政権運営を担う覚悟があるのか、それともそうでないのかという議論を再び開いたが、これは後に明らかになる、ERC内部により急進的なグループが存在するという一枚岩ではない党の不安定さを表していた。 2008年の総選挙で、ERCは前回獲得した652,196票(2.52%)から35万票以上少ない296,473票(1.17%)へと大きく票を減らし、前回の8議席から5議席を失い、単独で会派を形成することができなくなるという惨敗を喫した。しかし、上院議席はカタルーニャ進歩協定(スペイン語版)内で4議席を確保した。このERCの大きな後退は選挙においてPPとPSOE(当時カタルーニャでの支部政党であるPSCはERCとともに自治政府の政権与党であった)に人々の関心が集まったことが原因であると考えられた。進歩主義的な考えを持つ多くの有権者は現職の首相であったホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロの政策が自治憲章に反対の立場であるPPが政権に就くよりも好ましいとの考えで、PSOEへの投票を行ったものであると考えられた(しかし後にこの考えは見直されることとなった)。 2008年6月7日の第15回党大会の後37.22%の支持を得たジュアン・プチャルコスがジュアン・カラテール(27.56%)、アルネスト・バナック(26.68%)、ジャウマ・ラニェー(8.10%)を押さえて党首に、またラフェル・ニウボー(23.79%)、ルト・カランデイ(19.70%)、ウリエル・ベルトラン(18.42%)を押さえ37.52%の支持を得たジュアン・リダーオが書記長に選出された。 2007年から存在するERCの内部グループであるReagrupament(再集団化、再編成の意)が2009年4月に、自治政府の元閣僚で前回の党大会で党代表職を争ったジュアン・カラテールとルト・カランデイによって、2010年の州議選(スペイン語版)のため唯一の目的であるカタルーニャ独立を目指す候補を擁立する目的で、党を割った。
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