2002年度までの輸送実績
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「北海道ちほく高原鉄道」の記事における「2002年度までの輸送実績」の解説
年度輸送人員(人)輸送密度人/1日特記事項出典定期外通勤定期通学定期合計1989年(平成元年)304,073 73,180 526,556 903,809 516 6月4日から 1990年(平成2年)316,063 90,264 620,758 1,027,085 476 通年営業初年度 1991年(平成3年)302,573 88,822 551,940 943,335 439 1992年(平成4年)301,977 86,460 515,100 903,537 472 1993年(平成5年)302,279 73,740 504,060 880,079 462 1994年(平成6年)301,299 74,820 489,660 865,779 456 1995年(平成7年)292,212 71,220 453,000 816,432 431 1996年(平成8年)278,380 57,540 429,540 765,460 407 1997年(平成9年)259,519 57,600 380,520 697,639 372 1998年(平成10年)248,722 46,860 382,740 678,322 361 1999年(平成11年)230,548 38,640 387,600 656,788 345 2000年(平成12年)202,177 32,400 380,340 614,917 320 2001年(平成13年)194,003 30,780 352,860 577,643 302 2002年(平成14年)183,297 28,800 323,940 536,037 281 下落傾向であった運輸収入は1995年(平成7年)度の運賃改定で増加したが、利用客の減少が効果を半減させる結果となった。開業から5年間は転換鉄道事業者に対し赤字額の半分を補助する制度があったが、満5年となった1994年6月3日をもって打ち切られた。経営安定化基金の運用益による補填は、1992年(平成4年)度までは予想を上回る運用果実があったが、バブル景気崩壊による超低金利時代到来で以降は著しく減少。元金を取り崩して補填せざるを得ない状況となった。
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