20世紀、「馬の首都」としての確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 22:07 UTC 版)
「オカラ (フロリダ州)」の記事における「20世紀、「馬の首都」としての確立」の解説
フロリダで最初のサラブレッドの牧場は1943年、カール・G・ローズによって開かれた。彼はフロリダで最初のアスファルト舗装道路建設の監督のため、1916年にインディアナから移ってきた。道路事業に行き詰まった彼は、フロリダで豊富にあった石灰岩の生産をその場しのぎで試みた。やがて彼は、石灰は良質な牧草を養い、強靭な馬を育てられると気付いた(サラブレッドの牧場の中心地であるケンタッキー州のブルーグラス地方も石灰によってもたらされた)。1943年、ローズは州道200号線に沿った土地を1エーカーあたり10ドルで購入し、ローズメール牧場を開いた。翌年、彼が飼育していたGornilがマイアミズ・トロピカルパークでのレースで勝利し、フロリダ産まれの馬としては初めてフロリダでのレースで勝利した。 ローズの後に続いて、実業家のボニー・ヒースがサラブレッドの牧場を立ち上げ、フロリダで最初にケンタッキーダービーを制覇した馬を育てた。オカラ市内を走るハイウェイには、これら2人の名前が付けられている。ボニー・ヒース牧場は、現在・ボニー・ヒース3世と彼の妻キムによって運営されている。ローズメール牧場は遥か昔に売却され、その広い跡地は大規模小売店のパドック・モールと、カレッジ・オブ・セントラルフロリダに再開発された。 1956年、オカラ周辺のサラブレッド産業は、ニードルズがフロリダ産の馬としてはじめてケンタッキーダービーを制したことで活気づいた。1978年、マリオン郡うまれマリオン郡育ちの競走馬アファームドが三冠を勝ち取った。現在、マリオン郡には1200を超える牧場があり、世界のサラブレッド馬の中心地となっている。1200のうち900ほどがサラブレッドを飼育しており、面積は77,000エーカー(310 km2)を数える。オカラは「世界の馬の首都」としてよく知られている。 オカラは世界で5都市しかない(4都市はアメリカで、1都市がフランスにある)、商工会議所のガイドラインに「世界の馬の首都」という言葉を使うのが許可された都市の一つである。市の歳入は馬に関連した産業が中心である。約44,000人が馬の飼育、調教の他、馬に関連した様々な産業で生計を立てており、市の歳入のうち22億ドルを馬産業で稼いでいる。市のポストタイム牧場では、全米で最も規模の大きなホースショーの一つであるHorses in the Sun(HITSとも)が開催される。馬場馬術と障害馬術のイベントは約2か月続けられ、マリオン郡に毎年6~700万ドルの経済効果をもたらす。このホースショーはテネシー・ウォーキング・ホース、パソ・フィノ、モーガン・ホース、サドルブレッド、ドラフト・ホース、アメリカン・クォーターホースなど、100を超える品種別にそれぞれ部門が分かれている特徴である。この他にも、カウボーイシューティング、エンデュランス(耐久騎乗競技)、バレル・レース(樽回りレース)、「エクストリーム」カウボーイイベント、障害馬術のショー、トリックホースショー、パレード、ロデオのイベントなど多種多様な馬のイベントが開催される。
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