1994年メキシコ通貨危機とは? わかりやすく解説

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1994年メキシコ通貨危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:46 UTC 版)

メキシコ」の記事における「1994年メキシコ通貨危機」の解説

1986年関税および貿易に関する一般協定GATT)に参加した外国から資金を呼ぶため、金利高く設定されペソ過大評価されていた(この点はアジア通貨危機直前の状況似ている)。その結果輸入急増し輸出不振となり、貿易赤字増大していった。1990年貿易赤字は1,000ドル達し、さらに1992年12月北米自由貿易協定調印されアメリカからの投資ブーム起こった1982年債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力求めてアメリカ製造業大挙して工場建設し空前好景気沸いていた。 しかし、バブル崩壊は突然であった1994年2月南部先住民による武装反乱発生3月には大統領選挙候補暗殺された。この事件きっかけにして信頼一時失墜しカントリーリスク懸念表面化したその結果メキシコ・ペソ暴落しペソ売りドル買い圧力増加対抗するためにメキシコ政府ドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きて国家財政破綻その結果12月固定相場から変動相場への移行余儀なくされた。 その一方でメキシコ通貨危機防衛するために、政府額面ペソ元利金支払いドルで行う政府短期証券「テソボンド」を大量に発行した。この債権メキシコ通貨危機治まったあとに事実上ドル建て取り戻せたため、皮肉にもこれを購入した富裕層はたいへん儲かったという。1982年メキシコ債務危機続いて1994年メキシコ通貨危機でも、経済破綻通して富裕層がさらに富を増やしたが、投資した投資家たちは巨額損失被り国民急激なインフレ貧困に大量失業という苦しみを味わうことになった

※この「1994年メキシコ通貨危機」の解説は、「メキシコ」の解説の一部です。
「1994年メキシコ通貨危機」を含む「メキシコ」の記事については、「メキシコ」の概要を参照ください。

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