1969年 - 1977年
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「週刊少年マガジン」の記事における「1969年 - 1977年」の解説
「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは『ガロ』に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定。 その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「空手バカ一代」「愛と誠」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」「三つ目がとおる」「うしろの百太郎」「野球狂の詩」などがスタートし、新たに篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。 因みに1971 - 1973年には1971年に休刊した兄弟誌の『週刊ぼくらマガジン』を受け継ぐ形で「仮面ライダー」などの特撮・アニメヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの空想特撮シリーズの頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた『テレビマガジン』や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後その手の作品の掲載は控えられた。ただし、それらの中には「タイガーマスク」「デビルマン」「ロボット刑事」「デロリンマン」などといった作品も存在している。
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