1969年 - FIMがレギュレーションを変更気筒数と段数を制限)、カワサキが125ccクラスに参戦、ヤマハがワークス活動を停止
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1969年にFIMはレギュレーションを変更した。それまで日本のメーカーは膨大な開発費と開発要員を投入してGPマシンを製作してレースに参戦していたが、日本のメーカーについていける外国のメーカーがMVアグスタぐらいでほとんどなく、レースではいつも日本車がトップ争いを演じており、面白味に欠けていた。その打開策として、開発費を抑えるために、FIMはエンジン気筒数とミッション段数を制限することにした。新レギュレーションの内容は次のとおり -- エンジンは、50ccクラスは単気筒、250ccクラス以下は2気筒以下、500ccクラス以下は4気筒以下、ミッションは全クラス6段以下。
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