1935年架設下り線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 10:07 UTC 版)
京阪神間では、複々線(線路4線)に増強する工事が1916年(大正5年)から順次進められてきた。その進捗により、阪神間では1934年(昭和9年)から電車の頻繁な運転が開始されていたが、大阪 - 塚本間の下淀川橋梁を含む区間は複線のままであった。この区間では、宮原操車場に出入りする回送列車があり、さらに福知山線へ直通する列車も走るため、いよいよ運転状況が逼迫してきたことから、1934年(昭和9年)10月に複々線に増強する工事に着手することになった。 既存の橋梁に対して、下流側に中心間隔が18メートル離れた位置に新たに複線の橋を、単線上路鈑桁(桁橋)を25連×複線で架設することになった。左岸側(大阪方)から順に、28.5メートル鈑桁1連、32メートル鈑桁22連、25.4メートル鈑桁1連、16メートル鈑桁1連で構成され、総延長は789.7メートルである。既存の橋梁がトラス橋であったのに対して、新設橋梁で上路鈑桁を選んだ理由は、桁の製作・架設ともに工期の短縮ができること、足場を用いずに架設できて、6月から10月まで河川域内に工作物を設置できない淀川においても工事の時期を選ばないこと、桁の高さが高くなるために橋梁の前後で線路の扛上(こうじょう、線路の高さを上げること)をする必要があることを考慮に入れたとしても、総工費が4万円程度安くなる見込みであること、そして単線桁を利用すれば災害時に橋脚に異常があっても復旧が迅速であることなどである。設計活荷重はKS-18である。 1935年(昭和10年)6月には下部構造の工事が完成し、11月には桁の架設を終える手はずで工事を進め、関連する工事もすべて終えて大阪 - 塚本間で複々線での列車運転を開始したのは1937年(昭和12年)10月である。総工費は55万8079円であった。
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