1910年から1930年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:21 UTC 版)
「ポール・ボウルズ」の記事における「1910年から1930年」の解説
ニューヨーク出身。3歳のときから本を読み始めて、アーサー・ウェイリーによる漢詩の英訳に大きな影響を受け、自分でも物語や詩を作るようになった。またピアノ、声楽、音楽理論を学んでいたが、15歳の時にカーネギーホールで聴いたイーゴリ・ストラヴィンスキーの『火の鳥』に巨大な衝撃を受けた。 1928年にヴァージニア大学に入学したが、彼の興味はT・S・エリオット、セルゲイ・プロコフィエフ、デューク・エリントン、グレゴリオ聖歌、ブルースにあった。またこの頃ヘンリー・カウエルやジョージ・アンタイルの音楽も聴いている。1929年4月、両親に無断で大学を辞めてパリに渡った。6月にニューヨークに戻り、本屋の店員をしながら小説の執筆を始めたが未完に終わった。両親の説得でいったん復学したものの、作曲を師事していたアーロン・コープランドについて再びパリに渡った。1930年に最初の作曲作品である『オーボエとクラリネットのためのソナタ』を完成させ、翌年にコープランドやヴァージル・トムソンの作品とともにニューヨークで初演された。この時期の彼の音楽にはフランシス・プーランクとエリック・サティの影響がみられる。
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