1799年知事選挙
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「ジェイムズ・ゲアリド」の記事における「1799年知事選挙」の解説
ベンジャミン・ローガンは1795年知事選の結果を逆転できると確信し、1799年に知事候補となることを宣言した最初の者となった。それから間もなく、ゲアリドとトマス・トッドもそれぞれ出馬を宣言した。元アメリカ合衆国下院議員のクリストファー・グリーナップも出馬した。ケンタッキー州に最近入植した者の多くは彼の輝かしい軍事履歴を知らず、その洗練されていない弁論術では印象を受けなかった。候補者自身は対抗馬を否定的に話すことは滅多に無かったが、各候補者の批判者はその候補者を傷つけることができると考える問題を個別に取り上げた。長い間ゲアリドの政敵であるジョン・ブレッキンリッジは、ゲアリドに再度奴隷を解放する情熱の籠もった請願をさせようとした。そう考えるのは州内で少数派だった。ゲアリドはブレッキンリッジの戦術を理解し、選挙運動の間に大胆な解放に向けた考えを表明することを拒んだ。新憲法でも奴隷制度が保護されているという事実は前憲法よりも寧ろ強くなっており、ゲアリドが以前に反奴隷制度感情を持っていたことは選挙民大半の大きな関心ではなかった。フランクフォート市の著名指導者ヘンリー・フィールドの家族は、斧で妻を殺害したことで有罪となったフィールドに、ゲアリドが恩赦を出さないことを攻撃した。ゲアリドはこの事件の証拠を調べた後で、有罪判決は正当であり、外部からの不当な影響を受けていないと判断したが、この非難は選挙戦後半に出てきたので、恩赦を出さないことについての弁護は広く行き渡らなかった。 ゲアリドは現職故の有利さと概して人気ある記録があったので、州西部の各郡、ジェファーソン郡や中央部のブルーグラス地域では圧倒的過半数を獲得した。4年前はローガンを支持した有権者にも支持を得ることができた。最終結果は、ゲアリドが8,390 票、続いてグリーナップが 6,746 票、ローガン 3,996 票、トッド 2,166 票だった。新憲法に追加された任期制限により、ゲアリドは連続して2期を務めた最後の州知事になった。1992年に州憲法が改定されてこの制限が緩められ、1999年に再選されたポール・E・パットンが連続して2期を務めた2人目となった。1801年、選挙後にケンタッキー州控訴裁判所で生じていた空席を埋めるためにトッドを指名した。同様に1802年にはフランクフォート巡回裁判所判事にグリーナップを指名した。
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