17〜19世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 01:04 UTC 版)
17世紀初頭には、小規模なレンガ・タイルの製造業が盛んになり、この時期に共有地の一部区画が住宅や小規模商店に割り当てられた。18世紀初頭には煉瓦製造が拡大し、コモンには4つの店舗とエールハウスが設立された。また鍛冶屋、靴屋、織物屋などもあった。手造りのレンガ製造は、ごく最近までキーメル・タイル社(旧キーメル・ブリック&タイル社)によって行われており、そのタイルはロンドン・ピカデリーのセント・ジェームス教会(英語版)やマンチェスター・セントラル駅(英語版)などの建物で見ることができる。 1840年代にはロンドン・アンド・ブライトン鉄道が開通したが、当初この町には駅が設けられなかった。地元の要請により駅が設置されるまでには時間を要したが、それでも町には鉄道関連の仕事に従事する人を含めて数多くの人々が移り住み、バージェス・ヒルは小さな農村から人口4,500人の町へと変貌を遂げた。また地元のタイル会社は鉄道によってより広範囲の市場にアクセスできるようになった。 1857年にはヒースフィールドのホードリー家が現在「ホードリーズ・コーナー」と呼ばれている場所に大きな百貨店を開業させた。この百貨店は成功を収め、ディッチリングやシーフォードにも支店を出していた。 1876年には百貨店の向かいに「ウィンステイ」という豪邸が建てられた。この豪邸の持ち主だったサンプソン・コープステークはワールド・エンドに新しい教会を建てるための土地と資金を提供し、この教会は後に教区教会となった。 この豪邸「ウィンステイ」はコープテークからヴァイトハウス氏が購入し、自然治療施設として改築された。これはこの豪邸の眺望や新鮮な空気、アクセスの良さによるものと考えられている。治療院は1909年まで続けられ、その後一時的にホテルとして使用されたのち1950年代にはカトリックの修道院兼学校として使用された。 1897年には地元名士のエドウィン・ストリートによってヴィクトリア・プレジャー・ガーデンという庭園が開かれた。この庭園はヴィクトリア女王の在位60年(ダイヤモンド・ジュビリー)に合わせて造られた庭園で、広さは1万2千m2、内部には初期のジェットコースターや大きな池が設けられていた。この池では夏にはボート、冬にはアイススケートを楽しむことができた。
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