10月以後、ポーランド方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 00:02 UTC 版)
「東部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「10月以後、ポーランド方面」の解説
ロシア軍はガリツィアにおいてオーストリア軍主力を撃破して追撃中、ドイツ軍は9月中旬以後鉄道網を利用して大部隊をシュレジェン州に集中させようとしていた。ロシア軍はこれを察知してロシア第4軍をイヴァンゴロド方面のロシア第2軍左翼に転進させ、西南方面軍の主力はサン川左岸に進出した。一方ドイツ軍は他方面から増援を得て東ポーランド方面で攻勢を計画。28日より行動を開始しピリッツァ河(英語版)以南の地区でロシア軍を突破しようとした。オーストリア軍も10月4日頃よりヴィスワ川上流右岸地区で前進を開始した。 ロシア軍はポーランド方面のドイツ軍に対し攻勢を決定したが、作戦は進展しなかった。ロシア軍はガリツィア方面の諸軍をサン川右岸に後退させてプシェムィシル要塞の包囲を解き、第5軍をルブリン付近に集結させてワルシャワ方面からドイツ軍左翼に向かって攻勢に転じた。そのためドイツ、オーストリア軍は左翼を包囲されて国境線に向かって退却。プシェムィシル要塞はまたもロシア軍に包囲された。 10月下旬、ドイツ軍は他方面より兵を送り、追撃前進中のロシア軍右翼に対し攻勢をとることを決定した。ロシア軍はドイツ軍の退却に乗じて西方と南方で追撃していたが、ロシア右翼軍がヴァルタ川の線に達するとともにドイツ軍は西部戦線からの増援を待たずにトルン付近に集結していた兵力で攻勢に転じた。ドイツ軍はロシア軍の右翼を圧迫してウッチ付近でロシア約4個軍団を包囲したが、ロシア増援軍に反対に包囲された。包囲されたドイツ軍は11月24日東方に向かってロシア軍戦線を突破して友軍に収容された。 ドイツ軍はウッチ会戦(英語版)が失敗すると中央方面でロシア軍配備が薄くなっていることを利用し、チェンストホヴァ(ポーランド語: Częstochowa、イディッシュ語: טשענסטעכאוו チェンストホーフ)方面よりカリシュ付近に集結した約6個師団と西部戦線からトルン付近に輸送された約9個師団を加えて11月下旬からロシア軍を攻撃して、これを撃退した。
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