10代高棟
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三井 高棟(みつい たかみね、安政4年1月14日(1857年2月8日) - 昭和23年(1948年)2月9日)は、三井家10代当主。8代高福の八男。15代三井八郎右衞門を襲名し、1896年に男爵位を受ける。趣味人として知られ、1906年には、麻布区今井町(現東京都港区六本木)に大邸宅の「今井町邸」を建設。約1万3,500坪の敷地内には能舞台や庭園、テニスコートなどが設けられたほか、大磯の別邸には後に国宝となる茶室「如庵」が移築された。1922年には宮内庁からの依頼で英国皇太子を迎え、晩餐会や能観賞などで皇太子一行を接待した。1933年に高棟の隠居に伴い今井町邸は嗣子である第11代当主の高公へと受け継がれたが、1945年、戦災で焼失した。三井慈善病院、若葉会幼稚園創立。茶人藪内節庵に師事し、如庵の購入のほか、山縣有朋別邸の「小淘庵(こゆるぎあん)」を購入、そのほか坂本復経による鍋島直大邸も移築して三井家拝島別邸とした。高棟がジョサイヤ・コンドルに発注した綱町三井倶楽部は三田に現存する。妻に前田利聲の娘・苞子。三男の三井高維は啓明学園の創立者で理事長。娘たちは三井伊皿子家当主三井高長、侯爵中御門経恭、男爵鷹司信熙、子爵高辻正長(高辻修長孫)の妻となった。四女の三井礼子は三井永坂町家当主三井高篤(三井高泰長男)に嫁いだが離婚し、渡部義通と再婚した。孫(娘と高長の子)の博子は豊田章一郎の妻となった。
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