1度目・2度目の逮捕とそれによる調教師免許剥奪
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「田原成貴」の記事における「1度目・2度目の逮捕とそれによる調教師免許剥奪」の解説
2001年10月8日、アメリカ同時多発テロ事件直後で厳戒な警備体制の敷かれる中、羽田空港で機内にナイフを持ち込もうとして身柄を拘束される。手荷物検査でナイフの所持が発覚したため、銃刀法違反の現行犯で警視庁東京空港警察署に逮捕された。その後の同署内での身体検査で覚醒剤を所持していることも発覚し、覚醒剤取締法違反で再逮捕された。 これに対して、JRA裁定委員会は田原の調教師免許剥奪を審議。12月21日に田原に対する聴聞(弁明)機会を設けたが、田原は聴聞に現れず、同日付で1993年の野平富久以来史上2人目となる調教師免許剥奪が決定した。6日後の12月27日、東京地裁で懲役2年・執行猶予3年の判決を受け、控訴は無く刑が確定。これを受けた2002年1月18日、JRA裁定委員会は、2017年1月18日までの間、当時最大であった15年間の競馬への関与を停止(トレーニングセンターなどへの立入禁止など)する処分を発表した。なお管理していた競走馬はかつての師匠の息子である谷潔調教師に臨時貸付の形で転厩となっている。 その後、2002年5月に自身の覚醒剤の経験を記した『いかれポンチ』を出版。一方で有料制の競馬予想ホームページを開設し、また雑誌『競馬最強の法則』でコラムを連載し、予想家・評論家として活動を続けていた。
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