1国1コミッション制と独占禁止法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 14:37 UTC 版)
「日本ボクシングコミッション事件」の記事における「1国1コミッション制と独占禁止法」の解説
1983年にWBAから分離独立したIBFはJBCに加盟を求めたが、当時の事務局長・小島茂はWBAの副会長でもあり、これに応じなかった。このことに不満を持った奈良池田ジム会長・池田久が同年8月、JBCと競合するIBF日本ボクシングコミッションを設立すると、それまで「1国1コミッション」を標榜して独占的にプロボクシングを統括していたJBCはこれを宣戦布告と受け止め、IBF日本に関与した選手・関係者にはライセンス剥奪(事実上の永久追放)の強硬処分を科した。さらにJBCはマスメディアに対し、IBFについては記事で触れないでほしいと要請。『ワールド・ボクシング』(現在の『ボクシング・ビート』)は「さすがに専門誌として、実際に行われた試合をなかったことにはできない」とIBFの世界戦やランキングを掲載し続けたが、二大通信社は外電をカットしてほとんど配信せず、一般紙からスポーツ紙、テレビに至るまで、通信社と契約するほとんどのマスメディアが国外開催のIBFの世界戦を扱わなかった。IBF日本は「村八分状態」にありながら数億円を費やして何度か興行を維持したが、2004年頃活動を停止して2011年池田久逝去で自然消滅となっている。 新垣諭はIBF日本の承認する試合でIBF世界バンタム級王座を獲得し、国際的には王座認定団体であるIBFの歴代世界王者に名をつらねているが、日本において世界王者として扱われることは少ない。IBF日本が機能を失った後、他に類似組織が現れないままJBCが独占的に日本のプロボクシングをとりまとめることで事実上の「1国1コミッション制」が形成され、日本のボクシングジムに所属して世界王者となった他の選手達はすべてこの管轄下にあったため、マスメディアもJBCとの敵対を避けて新垣から遠ざかり、日本でプロボクシングの世界王者といえばJBC由来の情報に基づいて新垣以外の選手達のみを取り扱うことがほとんどだからである。『ボクシング・ビート』2011年3月号は新垣について、「IBFとJBCの政治的闘いに振り回されたともいえる」「IBF日本を巡る犠牲者の1人なのかもしれない」と歴史を振り返り、「もしIBFを容認することになれば、その時はぜひ1人の元チャンピオンの復権にコミッションと協会は力を貸してほしい」との要望をしたためており、スポーツジャーナリストの近藤隆夫も2013年に四半世紀にわたる同旨の見解を示している。 1989年6月23日、IBF日本は公正取引委員会に対し、JBCは独占禁止法に違反していると訴えた。その後、JBCルール(現在の正式名称は「一般財団法人日本ボクシングコミッションルール」)が定めるその指揮監督権限の適用範囲は、JBCおよび全日本ボクシング協会が1991年4月30日付の公正取引委員会公審第26号により独占禁止法に違反することのないようにとの注意を受けたことから、1992年に「日本国内の全ての試合」を改め、2016年現在、「日本国内においてJBCの管轄の下でおこなわれるすべてのプロボクシング」とされている。
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