黒河内義夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:48 UTC 版)
1889年生まれ1971年没。朝日村(現在の辰野町)沢底の古村武衛門の二男として生まれる。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学商学部卒業後、大日本麦酒株式会社に入社。札幌工場勤務後の1913年、黒河内千代太郎の婿養子に迎えられ、家業の酒屋を継ぐ。酒造業以外に高遠郵便局長、伊那酒造組合長、長野県酒造組合連合会の理事を務める。1931年、千代太郎逝去後、家督を継ぎ、高遠電灯株式会社の社長に就任。その後、戦時産業統制の色が濃くなり、高遠電灯株式会社は伊那電気鉄道株式会社と合併し、伊那電となりその取締役に就任した。第二次世界大戦中、鉄道事業は鉄道省(後の国鉄)に吸収され、電灯事業は中部配電(現中部電力)に吸収されて伊那電気鉄道株式会社は消滅した。1947年に初代高遠町町長に就任し、1期4年務めた。町長退任後は家業に専念。1930年に太松酒造店は法人組織となり高遠酒造株式会社に名称が変わり銘酒仙醸の醸造元として社長職にあった。1971年83歳で逝去。
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