黒河弁事処
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:01 UTC 版)
1955年3月9日 - チャン・チキャプが黒河弁事処に改称。(3ゾン5シカ)ポンドシカ・ダムシュンシカ・ベツァンシカ・タクポツォセシカ・ダモチュコルシカがラサ弁事処に編入。 ナクチュ・ゾンの一部が分立し、ガモンシカ・チュコルシカが発足。 ナムル・ゾンの一部が分立し、シェンギェルシカ・ダムサギャシカ・ナムツォシカが発足。 1959年7月5日 (2県3ゾン1シカ)シェンギェルシカおよびナムルゾンの一部が合併し、パングン県が発足。 ダムサギャシカ・ナムツォシカ・チュコルシカが合併し、青竜県が発足。 1959年10月 (5県)ガモンシカおよびナクチュゾンの一部が合併し、黒河県が発足。 ナムルゾンおよびナクチュゾンの残部が合併し、アムド県が発足。 シェンザ・ゾンがシガツェ弁事処シェートンムン県の一部と合併し、シェンザ県が発足。 1960年1月7日 - 黒河県・アムド県・パングン県・青竜県・シェンザ県がナクチュ専区に編入。
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