麻雀の紹介者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:24 UTC 版)
1919年(大正8年)11月、『支那風俗』第2巻第6号として「賭博の研究」を刊行。日本語で書かれた初めての本格的な麻雀の解説書・遊技法の教則本とされる。 なお、麻雀の日本への紹介には様々な捉え方がある。「麻雀」と呼ばれるゲームを見聞したという情報は明治末期にもたらされている。1909年(明治42年)、雲南省で英語と日本語の教師をしていた名川彦作が、帰途(おそらく上海付近で)購入して日本に持ち込んだのが、現在はっきりしている中で日本最古の麻雀牌である。麻雀を日本語で紹介した本としては、1917年(大正6年)に上海で刊行されたペンネーム「肖閑生」による入門書『麻雀詳解』が先行する。 この時期の麻雀は、まだ中国の一部地域でのみ流行しているゲームであった。グローバルな人気となるのは1923年にアメリカで大流行して以降であり、日本の流行もアメリカ経由のものであった。日本での流行において教則本として大きな影響を持ったものは林茂光による『支那骨牌 麻雀』、通称「赤本」であった。 1927年(昭和2年)頃、紅梅は神戸に「井上商店」を持ち、アメリカに向けて麻雀牌の輸出を行っていたという。
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