鷹山の名声・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 05:39 UTC 版)
鷹山による米沢藩の藩政は在命中から日本全国のおおよそ280藩の中でも模範として幕府から称揚されていた、と小説家の綱淵謙錠は述べている。 特に寛政の改革の主導者であった老中松平定信からは高く評価され、白川藩主時代の定信から鷹山の徳政を称える手紙を受け取っている。定信は後に鷹山の訃報を告げられたさい、「三百諸侯第一の賢君が亡くなられた」と言ってその死を悼んだ。 明治以降、鷹山は修身の教科書で数多く取り上げられた。また、内村鑑三が海外向けの日本人論として英語で著した『代表的日本人』でも、鷹山の生涯が紹介された。 米沢藩中興の祖である鷹山は、現在の米沢市民にも尊敬されている。その例として、他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがあっても、上杉鷹山だけは「鷹山公」と「公」という敬称を付けて呼ばれることが多い。 2007年に『讀賣新聞』が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも、理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられている。 第35代アメリカ合衆国大統領にジョン・F・ケネディが1961年に就任した際に、日本の記者団に「日本でいちばん尊敬する人物」を聞かれたときすぐに鷹山の名前を挙げたという逸話がある。1975年に綱淵謙錠と歴史家の奈良本辰也を迎えて放送されたNHKの歴史番組『日本史探訪』が紹介している。それによると、ケネディは『代表的日本人』により鷹山を知り、政治家の理想像を見たのだとしている。ただし、この逸話の真偽は不明である。米沢の歴史を研究する小野榮は、ケネディが上杉鷹山を尊敬していると述べたというのは誤りで、鷹山を尊敬していると述べたのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトであり、彼が鷹山を知ったのは、新渡戸稲造が英文で出版した『武士道』を読んだからだと述べている。 ジョン・F・ケネディの長女で駐日アメリカ合衆国大使をつとめていたキャロライン・ケネディは、山形県や米沢市の要請に応じて2014年9月に米沢市を訪れ、父親のケネディが鷹山を称賛していたことに触れるスピーチをした。
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