鰍沢河岸出土の甲州金とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 鰍沢河岸出土の甲州金の意味・解説 

鰍沢河岸出土の甲州金

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 08:12 UTC 版)

鰍沢河岸」の記事における「鰍沢河岸出土の甲州金」の解説

鰍沢河岸跡からは3点甲州金出土している。 2000年平成12年)か2004年平成16年)に発掘調査実施され問屋旅館飲食店立ち並ぶ問屋街地区では、建物基礎石垣脇から2点甲州金分判(甲定金)が出土した鍛造加工の薄延金直系15.5ミリメートル厚さ1.4ミリメートル重さ3.72グラム。金含有量比重法で67.6パーセント、68.4パーセント。4で1両に相当。享保12年1727年)から鋳造始まった分判で、山梨県内では初の出土石垣脇から出土したことから、建物建てる際の祭祀目的で埋納された可能性考えられている。 2007年平成19年)には横町地区商人居住する区域建物基礎石垣脇から元禄一分判金が出土一分判金甲府城跡の慶長一分判金に続く二例目。石垣脇から出土したことから、壱分判同様に埋納であると考えられている。 元禄一分判金は元禄8年1695年)から宝永7年1710年)に製造され鍛造加工短冊形版金。縦16,5ミリメートル、横10ミリメートル厚さ1.2ミリメートル重さ4.44グラム。金含有量比重法で56.6パーセント。雑分の43.4パーセント。金の含有率甲府城跡の慶長一分判金比重法で85.5パーセント)より低く問屋街地区出土甲州壱分金よりも若干低い。表面周囲長方形圏点囲み内部の上側には扇五三桐紋、下側には無桐紋配されている。中央には通貨単位現す一分」の文字見られる裏面には右上に「短元」と呼ばれる書体紀年銘「元」があり、これにより元禄一分金であると特定される裏面側面には幕府御金銀改役の後藤光次(庄三郎)の極印(光次(花押)、両替商が包封した際の験極印がある。表面の銀を薬剤用いて除去し、金の濃度高める「色揚げ」が施されている。 甲州金甲府金座鋳造されたと考えられているが、具体的な金座不明

※この「鰍沢河岸出土の甲州金」の解説は、「鰍沢河岸」の解説の一部です。
「鰍沢河岸出土の甲州金」を含む「鰍沢河岸」の記事については、「鰍沢河岸」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鰍沢河岸出土の甲州金」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鰍沢河岸出土の甲州金」の関連用語

1
18% |||||

鰍沢河岸出土の甲州金のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鰍沢河岸出土の甲州金のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鰍沢河岸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS