鰊場作業唄の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 10:03 UTC 版)
建て網一枚を運営する組織単位を「統」と呼ぶ。ニシン漁の親方が1ヶ統を運営するには30人あまりの漁夫が必要であり、建て網5ヶ統を構える大宅(おおやけ)の旦那ともなれば数百人のヤン衆を抱えることになる。大勢の雇い人たちをまとめ上げ、さらに辛い肉体労働を要領よくこなし、仕事の憂さを晴らさせるには「唄」による結束が不可欠である。鰊場作業唄はその中で自然発生的に生まれた。逆に言えば、鰊場作業唄の成立年代は、ニシン漁の規模が大型化し多数のヤン衆を抱えるようになった近世末期以降と考えられる。 出稼ぎ漁師が出身地の民謡や流行歌を漁場の仕事の中で歌い上げ、作業唄の原型を造る。後に「ソーラン節」として編集された「沖上げ音頭」は青森県野辺地町周辺の「荷揚げ木遣り唄」から変化したとされる。國學院大學民族歌謡文学の須藤豊彦によれば、江戸時代中期の御船歌と呼ばれる儀礼の歌や俗謡集「小禾集」に"沖のかごめに"と言う一節に酷似した歌詞があり、船乗りが北海道に伝えたという。「網起こし音頭」のうち「切り声」「木遣り」と呼ばれる部分は伊勢神宮の遷宮に関わる行事・御木曳の際に唄われる木遣唄が北前舟で持ち込まれたものと考えられる。北前舟の航路に当たる石川県能登半島の民謡「帆柱起こし音頭」の囃し言葉は、網起こし音頭の旋律に似ている。 家族を故郷に残し、一人異郷で働く漁師たちは仕事の愚痴や男女の仲をネタに新たな歌詞を作っては歌い上げ、仕事を終えて故郷に戻った後は、地元で鰊場作業唄を広めた。かつて北海道に大量のヤン衆を送り込んだ青森県野辺地町や八戸市には、ヤン衆によって持ち帰られた鰊場作業唄が伝承されている。
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