高崎市との合併を決定するまでとは? わかりやすく解説

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高崎市との合併を決定するまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 03:07 UTC 版)

榛名町」の記事における「高崎市との合併を決定するまで」の解説

榛名町2004年4月箕郷町と共に2003年12月高崎市群馬町新町倉渕村吉井町設置した任意合併協議会合流し合併協議本格化した。 その後吉井町法定合併協議会設置案を否決し協議から離脱したが、箕郷町住民投票の結果賛成多数となった事を受けて群馬町新町倉渕村とは別個に高崎市との法定合併協議会設置した。5市町村同時合併目指し協議会合同開き2005年2月8日合併協定調印至った一方榛名町法定合併協議会設置前の2004年7月11日住民投票行い僅差合併反対上回る賛成 6,330反対 6,415無効 212票 この結果受けて当時町長であった石井清一自立表明したが、石井町長と合併推進派が多い町議会対立しており、町議会法定合併協議会設置案を可決した高崎市箕郷町と同様、群馬町新町倉渕村とは別個に高崎市との法定合併協議会設置案を可決した。しかし、住民投票僅差とはいえ反対上回ったことを重視した石井町長は自立方針固持し合併協議に加わらなかった。 これにより榛名町合併推進派と自立派の住民団体設立されそれぞれ署名運動などの住民運動展開した合併推進派の住民団体榛名町将来考える会(当時の会長富沢素行自立派の住民団体榛名拓く2005年11月には榛名町将来考える会が石井町長に対し榛名拓くが町議会対しそれぞれリコール請求。しかし、石井町長はリコール投票前辞職し2005年12月25日行われた町長選挙投票率76.52%)の結果石井町長は落選した富澤 素行 7,956票 石井 清一 5,665票 合併推進派の富澤町長が就任後2006年1月22日に、榛名拓く会が請求した町議会リコール投票が行われた(投票率63.70%)が、ここでもリコール不成立となり、高崎市との合併向けて大きく前進することとなった賛成 4,978票 反対 6,309町議会リコール投票翌日である2006年1月23日箕郷町群馬町新町倉渕村の4町村高崎市編入された。 その後2006年2月8日高崎市榛名町法定合併協議会設置し合併方式を「高崎市への編入」、合併期日同年10月1日決定し同年5月8日には、高崎市内で合併協定調印が行われ、松浦幸雄高崎市長と富澤素行榛名町長が合併協定書調印した5月12日の両市町議会議決経て5月15日には両市町長が小寺弘之群馬県知事廃置分合合併)の申請行い6月13日には群馬県議会合併議決7月13日総務大臣官報告示し10月1日高崎市榛名町合併正式に決定した。 この合併により倉渕村域(現在の高崎市渕町)は飛地ではなくなり、群馬郡消滅した

※この「高崎市との合併を決定するまで」の解説は、「榛名町」の解説の一部です。
「高崎市との合併を決定するまで」を含む「榛名町」の記事については、「榛名町」の概要を参照ください。

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