馬込町 (東京府)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 00:36 UTC 版)
まごめまち 馬込町 |
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廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 | 編入合併 大森町、入新井町、池上町、馬込町、東調布町 → 東京市 |
現在の自治体 | 大田区 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 荏原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 23,025人 (1930年10月1日) |
隣接自治体 | 池上町、入新井町、大井町、荏原町、碑衾町 |
馬込町役場 | |
所在地 | 東京府荏原郡馬込町字松原458番地 |
座標 | 北緯35度35分38秒 東経139度42分35秒 / 北緯35.59389度 東経139.70961度座標: 北緯35度35分38秒 東経139度42分35秒 / 北緯35.59389度 東経139.70961度 |
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馬込町(まごめまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都大田区の北部に位置する。
沿革
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、馬込村の全域と、池上村の一部(残部は池上村に編入)が合併して馬込村が発足[1]。
- 1923年(大正12年)4月 - 字原丸・狢窪と、碑衾村字大字碑文谷字南原の間の境界を変更[2]。
- 1928年(昭和3年)1月1日 - 馬込村が町制施行して馬込町となる[3]。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入、馬込町の区域は大森区となる[4]。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 大森区が蒲田区と合併し、大田区を設置[5]。
地域
各項目内の箇条書きは、小字の一覧である。ふりがなは『馬込村誌』による。
東京市編入時に大森区馬込町東になった地域
東部逓信局編『東京府荏原郡馬込村』(1917)[6]によると、大字馬込となっている。一方、東京市役所編『大東京新区町名地番表』(1932)[7]によると、大字が設定されていない。
現在の町名:東馬込1・2丁目、南馬込1〜6丁目、北馬込2丁目、中馬込2・3丁目、中央5丁目[8]
東京市編入時に大森区馬込町西になった地域
『東京府荏原郡馬込村』によると、平塚のみ大字池上、その他が大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字が設定されていない。
現在の町名:西馬込1・2丁目、南馬込4〜6丁目、北馬込1・2丁目、中馬込1〜3丁目、上池台4丁目[9]
- 上䑓
- 根古屋
- 中田
- 将監谷(しょうげんや)
- 道々女木(どどめぎ)
- 埋田
- 塚越
- 中丸
- 大谷(おおやと)
- 大久保
- 二本木(にほぎ)
- 宮下 - 長遠寺付近。
- 和田
- 入原(いりっぱら)
- 貝塚
- 寺郷
- 浅間丸
- 山野
- 平塚
東京市編入時に大森区北千束町・南千束町になった地域
『東京府荏原郡馬込村』によると、大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字北千束と大字南千束に分かれており、小字は設定されていない。
行政
村長
町長
- 野村嘉七 - 1928年1月1日就任[12]
産業
馬込町であった当時は農業が盛んであった。とくにキュウリ生産が盛んで[13]、明治時代には馬込半白胡瓜という品種が作出され[14]地域の特産品になっていた。
交通
鉄道
そのほか、字平張・小宿などでは入新井町の鉄道省京浜線(現:JR京浜東北線)大森駅が最寄駅となる。
現在は都営地下鉄浅草線の馬込駅、西馬込駅が存在するが、馬込町が存在した当時は開業していなかった。
バス
- 五反田乗合自動車
- 城南乗合自動車(現:東急バス)
道路
現在は第二京浜国道(国道1号)、環七通りが通過しているが、馬込町が存在した当時は開通していなかった。
脚注
- ^ 『大田区史 下巻』127,129-130頁。
- ^ “「村境界変更」『官報』1923年04月24日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月18日閲覧。
- ^ 『荏原郡馬込町現状調査』5頁。
- ^ “「町村廃止市区域変更」「市ノ区設置」『官報』1932年05月28日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月18日閲覧。
- ^ 東京都大田区役所 編『大田区史』1951年3月31日、191頁。NDLJP:3021827
- ^ 『地図でみる大田区』86頁。
- ^ 『地図でみる大田区』92頁。
- ^ 『地図でみる大田区』140-141頁。
- ^ a b 『地図でみる大田区』141頁。
- ^ 『大田区史 下巻』132頁。
- ^ a b 日本自治協会 編『市町村治績録』1929年6月25日、11頁。NDLJP:1268923
- ^ 『荏原郡馬込町現状調査』17頁。
- ^ 『荏原郡馬込町現状調査』23頁。
- ^ “馬込半白キュウリ(馬込半白節成キュウリ)|江戸東京野菜について”. JA東京中央会. 2025年2月17日閲覧。
- ^ 東京市役所『東京市郊外に於ける交通機関の発達と人口の増加』1928年3月10日、166頁。NDLJP:1212764
- ^ “反01”. 東急バス. 2025年2月18日閲覧。
- ^ 社会教育研究所 編『大東京年誌』1932年、1133頁。NDLJP:1688548
参考文献
- 『馬込村誌』1955年。
- 東京市臨時市域擴張部『荏原郡馬込町現状調査』。NDLJP:1900807
- 鉄道省 編『鉄道停車場一覧』川口印刷所出版部、1935年3月27日。NDLJP:1212697
- 大田区教育委員会社会教育部社会教育課 編『地図でみる大田区』1988年3月31日。NDLJP:9644260
- 大田区史編さん委員会 編『大田区史 下巻』東京都大田区、1996年3月15日。NDLJP:9644818
関連項目
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