首脳会談の議題とは? わかりやすく解説

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首脳会談の議題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:00 UTC 版)

ウィーン会談」の記事における「首脳会談の議題」の解説

この打診受けて5月9日ケネディからウイーンでの首脳会談開催提案する旨の回答があり、1961年6月3日から4日ウイーン会談を行うことが決定した。 この時に双方会談に臨む姿勢にはかなりの隔たりがあり、特に会談内容について米ソ間には大きな違いがあった。キューバラオス行き詰まり事態期待通り進んでいない状態であったアメリカは、当時進行していたラオス紛争翌週ジュネーヴ会議控えて内戦終結中立化めざしてソ連側協力求めた。また核実験禁止について会談での好意的反応期待していたが、直後に出す公的声明ではベルリン問題には一切言及しないようソ連側伝えた一方ソ連は、東西ドイツ問題について、まず西側東ドイツとの平和条約締結求め、それが実現できない場合ソ連単独東ドイツ平和条約を結び、西ベルリンへの全てのアクセスルートの管理権東ドイツ移譲する案を持っていた。5月27日共産党幹部会フルシチョフから説明があり「我々は西ベルリン侵入しない封鎖宣言しない。だから軍事行動のための口実与えことはない。」「我々は軍隊撤収要求しない排除することもしない。しかしそれらは違法であることと考える。」「だから戦争態と占領体制終結するからといって戦争引き起こすことではない。」と語った。しかしミコヤン第一副首相だけが異論出して「彼らが核兵器なしで軍事行動に出るかもしれない。」と述べるとフルシチョフは「ケネディはひどく戦争恐れているから軍事的に反応してくることはない。…ベルリンに関して我が方軍事的優位に疑問余地はない。」と答え、するとミコヤンは「ケネディ軍事的対応するしかない危険な立場追い込んでいる。ベルリン空路これまで通りにしてケネディ受け入れすいものにしたら…。」と尋ねるとフルシチョフは「東ドイツ崩壊寸前なのだ。確固たる行動を取らなければ東側諸国疑念生じさせてしまう。…西側飛行機西ベルリン着陸しようとすれば撃墜するつもりだ。」と反駁した。フルシチョフにとっては何としても西ベルリン問題一定の前進期待していた。 ケネディにとってはあくまで重要な交渉の場ではなく首脳同士個人的接触深めフルシチョフ真意見極めるであった。そしてアメリカの立場一歩引かず事態悪化すれば実力行使考えざるを得ないことも警告する場でもあった。

※この「首脳会談の議題」の解説は、「ウィーン会談」の解説の一部です。
「首脳会談の議題」を含む「ウィーン会談」の記事については、「ウィーン会談」の概要を参照ください。

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