頼杏坪とは? わかりやすく解説

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らい‐きょうへい〔‐キヤウヘイ〕【頼杏坪】

読み方:らいきょうへい

[1756〜1834江戸後期儒学者安芸(あき)の人。春水の弟。名は惟柔(ただなご)。字(あざな)は千祺(せんき)。別号春草漢詩和歌をよくし、また広島藩儒官として教育治政にも功績があった。著「春草堂集」「芸藩通志」など。


頼杏坪

読み方らい きょうへい

江戸後期儒者安芸生。春水春風の弟。名は惟柔、通称四郎別号春草。郡方役所詰、奴可・三上郡代官をつとめ、のち三次町奉行専任民政にも尽力した。また香川景樹の門で和歌学び歌集唐桃集』がある。天保5年1834)歿、79才。

頼杏坪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 00:02 UTC 版)

頼 杏坪(らい きょうへい、宝暦6年(1756年7月 - 天保5年7月23日1834年8月27日))は、江戸時代儒学者広島藩士。は惟柔(ただなご)、字は千祺(せんき)・季立、号は春草堂、通称は万四郎、別号に春草・杏翁。


  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.26


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