頼春風とは? わかりやすく解説

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頼春風

読み方らい しゅんぷう

江戸後期学者安芸竹原生。春水の弟、坪の兄。名は惟彊、字は千齢、通称松三郎。大坂古林見宜の塾で医術学び尾藤二洲とも親しく交友した。帰郷医者開業し藩医推される。また春風館の建設竹原書院創立尽力するなど竹原文化隆盛貢献した文政8年(1825)歿、73才。

頼春風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/22 14:14 UTC 版)

頼 春風(らい しゅんぷう、宝暦3年(1753年) - 文政8年9月11日1825年10月22日))は、江戸時代の儒医。安芸国竹原(現広島県竹原市)の人。は惟彊、字は千齢あるいは叔義。通称は松三郎。春風は号[1]

略伝

頼家は元々小早川氏に仕え、のち竹原に移り海運業を始めその後紺屋を営んでいた[2]。その当主の頼惟清には5人の息子が生まれそのうち次男と五男は早世し、残った3兄弟が頼春水・頼春風・頼杏坪である[2]。また春水の息子が頼山陽であることから、春風の甥が山陽になる。

春風は、竹原で生まれる[3]。父の惟清は息子たちに勉学に励ませ[2]、春風もこれを努める。春風14歳の時に兄の春水に従い大阪で学ぶ[4]。のち弟の杏坪もこれに加わる。尾藤二洲とは親交を温めた[4]。春風は、儒学を、そして医術を古林見宜から学ぶ[4]

「春風館」。国の重要文化財[1]

安永2年(1773年)父の惟清が倒れたことから春風だけ竹原に戻り、頼家の宗家いわゆる竹原頼家の家督を継ぐ[4]。そして医業を開業している[1]。安永9年(1780年)には塩田経営を始めている[1]。天明元年(1781年)邸宅「春風館」を建て[1]、紺屋は叔父の頼惟宣(伝五郎)に譲った[5]。その一方で竹原の文化向上にも貢献し、寛政5年(1793年)に郷塾「竹原書院」の開講に春水と共に参加し、講師となった[1]。この竹原書院は現在市立竹原書院図書館として存続している[6]

頼家の3兄弟はいずれも学問・詩文・書と優れのち「三頼」と称される[2]。篠崎三島は頼兄弟を「春水は方(四角)、春風は円、杏坪は三角」と漢詩に譬えて、後の世人は春風はその詩風だけではなく円満の人であったと評している[4][3]。兄弟の2人がのちに広島藩儒となり順調に出世していったのに対し、春風は竹原にとどまり悠々自適な生活を過ごした[3][4]。3兄弟とも菅茶山との交流があったが、管は春風の自由な生き様に一番共感していた[7]

兄の春水の子の山陽が出奔した際には、春風も追手の一人となった[4]。のち山陽は連れ戻され幽閉された際に『日本外史』の構想を練る事になるが、この題名は春風の案である[4]。また山陽を廃嫡したため春水の嗣子がいなくなったことから、春風の長男の頼元鼎(頼景譲)を春水の養嗣とした[8]。春風の相続者は、長女の唯子に婿養子として花山文台の子を迎え養嗣とした。これが頼小園である[9]。また景譲・春水と相次いで死去し山陽の長男の頼聿庵が広島頼家の家督を継いだ際には、春風は藩命によりその後見役となり七人扶持を与えられ御医師格(藩医)となっている[1][8][3][4]

文政8年(1825年)竹原春風館で死去[4]。享年73[4]。墓所は竹原照蓮寺。著書に『春風館詩鈔』『適肥』『芳山小記』など。子孫に広島大学名誉教授の頼桃三郎・頼祺一親子がいる。

家系

尾藤二洲
 
 
 
 
梅月
 
 
飯岡義斎
 
 
 
 
 
梅颸
 
 
 
 
頼山陽
 
頼聿庵
 
頼誠軒
 
 
 
 
頼惟清
 
頼春水
 
 
 
頼支峰
 
 
 
 
 
 
 
 
 
頼三樹三郎
 
 
 
 
 
 
 
頼春風
 
 
 
頼達堂
 
 
 
 
 
 
 
 
頼景譲
 
 
 
 
 
順子
 
 
 
 
 
 
唯子
 
 
 
 
 
 
 
頼小園
 
 
 
 
頼杏坪
 
頼采真
 
頼正義
 
 
 

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 重要文化財 「春風館」頼家住宅 「復古館」頼家住宅”. 竹原市. 2015年10月16日閲覧。
  2. ^ a b c d 頼惟清旧宅”. 竹原市. 2015年10月16日閲覧。
  3. ^ a b c d 頼春風”. 福山誠之館同窓会. 2015年10月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 手島 1925, pp. 5–6.
  5. ^ 春風館”. ひろしま観光ナビ. 2015年10月16日閲覧。
  6. ^ 竹原書院図書館の歴史”. 竹原市立竹原書院図書館. 2015年10月16日閲覧。
  7. ^ 郷土ゆかりの人たち”. 菅茶山記念館. 2015年10月16日閲覧。
  8. ^ a b 手島 1925, pp. 9.
  9. ^ 手島 1925, pp. 10.

出典



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