静御前にまつわる伝承地とは? わかりやすく解説

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静御前にまつわる伝承地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:13 UTC 版)

磯 (京丹後市)」の記事における「静御前にまつわる伝承地」の解説

磯では、鎌倉源頼朝方に捕らえられ、子を殺され静御前郷里戻り蝦夷逃れた源義経密かに静に会いに磯を訪れたとする説話があり、それにまつわる数々旧跡語り継がれている。 静神社小字岡地小滝鎮座する神社で、静御前こと静比女命(しずかひめのみこと)を祭神とする。静御前十二単姿の木製立像祀る静御前生誕の地 入艘の浜を西に見下ろす海沿い段丘上にあり、静御前生家のあった場所であるとして、生誕の地を示す碑が建てられている。かつてはこの場所に静神社があったが、北丹後地震社殿老松被害があり、1931年昭和6年)に現在地再建された。屋敷跡地のすぐ北側浅瀬を「尼サンの下」とよぶ。 入艘(にそ)の浜 いくつかの横穴をもつ浜で、その横穴古代人住居跡伝えられる周辺からは、石器とみられる加工跡をもつ石が多数みつかっている。 静御前訪ねて逃亡生活続け源義経密かに磯にきた際に舟を着けた場所と伝えられる。「尼僧ヶ浜」とも記す。 弁当岩べっとういわ) 逃亡中の義経が磯に来て静御前会い別れる時に2人弁当食べた場所であるとされる涙岩 束の間再会の後、船で沖から去る義経を、静が泣きながら見送った場所であるという。「泣き別れ岩」とも称する 腰屈み岩涙岩」同様、静が義経の船を見送って泣き叫んだ場所であるとする。こちらを「泣き別れ岩」と称する資料もある。 爪剥ぎ岩 影隠し岩 逃亡生活合間に磯を訪れた義経が、船を隠したとされる三ツ塚 静御前遺愛の品を埋めた場所であるといわれ、磁器出土している。「四ツ塚」ともよばれ、法丈ヶ成にある古墳を塚に見立てて名付けた思われる中世、この近くに室寺があり、その草庵静御前義経、子の親子3人が過ごしたといわれ、義経生存説前提とした伝承地とされている。

※この「静御前にまつわる伝承地」の解説は、「磯 (京丹後市)」の解説の一部です。
「静御前にまつわる伝承地」を含む「磯 (京丹後市)」の記事については、「磯 (京丹後市)」の概要を参照ください。

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