電車開業までの経緯とは? わかりやすく解説

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電車開業までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 19:58 UTC 版)

東京都電車」の記事における「電車開業までの経緯」の解説

そこでより近代的な交通機関として路面電車計画されるようになり、1889年明治22年)には大倉喜八郎藤岡市助東京電燈関係者実業家立川勇次郎らが政府敷設計画出願した。だが当時電気鉄道そのものがまだ誕生して間もない技術であり、これらの出願時期尚早とみられ認可されなかった。そこで翌1890年明治23年)に東京上野公園第三回内国勧業博覧会開催されると、東京電燈同社技師であった藤岡市助主導のもと会場内170間(約300m)の軌道敷設し藤岡らが米国視察の折購入した電車デモ運転を行った入場料3銭に試乗料2銭と決し安くはなかったが、電車静粛さや物珍しさ手伝ってデモ運転はたちまち大評判となり、内国博をきっかけ電車敷設動き本格的なものとなったこうした経緯経て1895年明治28年)に開業した京都電気鉄道皮切りに名古屋電気鉄道大師電気鉄道小田原電気鉄道 など、全国各地電気鉄道続々開業していった。 ところが東京では1893年明治26年)から1899年明治32年)の6年間で35社もの出願が相次ぎ特許権獲得めぐって対立しあっていた。特に有力な出願者だった東京馬車鉄道雨宮敬次郎らの東京電車鉄道藤山雷太らの東京電気鉄道利光鶴松らの東京自動鉄道の4社の対立激しく許認可自由党進歩党政争の具されたり電車民営とするか市営とするかで東京市会市参事会紛糾するなど、大きな混乱生じた。また当時東京市内の都市計画担っていた東京市改正委員会電気鉄道敷設条件について介入したことも混乱拍車をかけた。デモ運転から10年過ぎた1900年明治33年)、紆余曲折の末内務省東京電車鉄道東京電気鉄道東京自動鉄道の3派が合同し組織した東京市街鉄道岡田治衛武らが四谷信濃町 - 青山 - 渋谷 - 池上 - 川崎間などの路線計画して設立した川崎電気鉄道、そして既設東京馬車鉄道の3社に対して特許与えた

※この「電車開業までの経緯」の解説は、「東京都電車」の解説の一部です。
「電車開業までの経緯」を含む「東京都電車」の記事については、「東京都電車」の概要を参照ください。

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