電力設備の出資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:24 UTC 版)
日中戦争開戦後の1938年(昭和13年)4月、「電力管理法」ほか3法が公布され、既存の電気事業者から電力施設の一部を出資させて半官半民の国策会社日本発送電株式会社を設立し、同社を通じて電気事業の国家管理を実現する、という電力国家管理の実施が決定した。 電力国家管理の実施に際し、既存事業者が日本発送電へと現物出資する電力設備の範囲は、出力1万キロワット以上の火力発電設備、最大電圧100キロボルト以上の送電線とその他の重要送電・変電設備と決定された。1938年8月、日本発送電株式会社法の規定に基づき同社設立の際に出資すべき電力設備の内容が公告され、昭和電力は以下の設備を出資するよう命ぜられた。 北陸送電幹線(笹津変電所 - 八尾変電所間) 庄川線(祖山発電所 - 福光開閉所間) 笹津線・跡津分岐線(神岡水電跡津発電所 - 牧開閉所 - 笹津変電所間) 笹津変電所 八尾変電所 翌1939年(昭和14年)4月1日、設備の現物出資が実施に移され日本発送電は発足した。出資設備の価格は1586万6145円50銭とされ、このうち45円50銭は金銭で支払われ、残りは日本発送電の株式割り当てで決済され同社額面50円払込済み株式31万7322株が昭和電力に対して交付された。この割り当て株数は現物出資を実施した33事業者のうち10番目に多い。また出資後は手元に残った水力発電所の発生電力全部を日本発送電へと供給するようになった。 日本発送電発足に伴い経営陣にも動きがあり、同社初代総裁に転じた増田次郎が昭和電力では社長を辞任し、代わりに副社長の村瀬末一が副社長のまま会社の代表となった。
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