雑種賎民の役務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/24 11:01 UTC 版)
雑種賎民の中には幕藩勢力から役務を申し付けられたものもある。 猿飼は弾左衛門の支配下にあり、江戸城西丸下の厩や武家屋敷での馬の祈念などをさせられた。そのほかに大道で猿の芸を見せることもあり、地方巡業にも出かけた。 乞胸(ごうむね)は家業について非人頭車善七の支配を受けており、江戸の浅草溜の火災の際、御用書物を持ち出した。『寛政度文政度御尋乞胸身分書』によると、乞胸の始まりは大道芸で糊口をしのいでいた浪人で、次第に人数が増えたところ、非人頭車善七から職域侵犯であると抗議され、両者協議の末、乞胸は町人の身分のまま、稼業に関してのみ善七の支配下になることで決着した。乞胸は空き地や大道で芸をし、門付は非人のみが許された。 加賀藩の藤内は葬送・隠密御用・牢番・行刑などを務めた。 伊勢国十二郡に広く分布したささらは園城寺(近江三井寺)支配下で、城掃除、死刑・拷問、下級行刑役、町の見回り、寺社の開帳。法食の立ち食い、芝居、行倒人の始末、火消しなどの役務を負った。 鳥取藩の鉢屋は生業として竹細工を営んでいたが(それにより茶筅や簓とも呼ばれた)、犯人の逮捕・牢番の役務があった。 鹿児島藩の慶賀はその名の通り、藩の慶祝行事に関係していた他、牢番の役務があった。
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