階段状連房式登窯-肥前と瀬戸・美濃の違いとは? わかりやすく解説

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階段状連房式登窯-肥前と瀬戸・美濃の違い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 06:24 UTC 版)

連房式登窯」の記事における「階段状連房式登窯-肥前と瀬戸・美濃の違い」の解説

割竹形は、肥前でも瀬戸美濃でも1630年代から廃れかまぼこ状ないし楕円形の焼成室を連ねる階段連房式登窯にとって代わられるうになる肥前では、通焔孔は一貫してサマ構造であった階段連房式登窯長さ全長30メートル前後で、焼成室は10数室であったが、18世紀に波佐見出現した窯では全長100メートル超え焼成室は30室以上、全長160メートル超えるものも見られた。 瀬戸美濃では、17世紀後半になると、窯ヶ根1号窯のように16世紀大窯縦に勢いよく焼成ガスを通す倒炎式と呼ばれる長所意識して、縦サマの窯が造られるうになるそれ以降瀬戸では19世紀造られ丸窯除いてサマであり、丸窯も横サマの通焔孔の後ろに「」という構造用いてサマと同じ効果になるよう工夫されている。瀬戸19世紀の窯は、ほかに本業窯と古窯があり、本業窯は陶器を焼く窯で古窯磁器を焼く窯であった両方ともサヤ積みとたな組みにて製品焼成した古窯2 - 4室の窯で、丸窯4 - 11室の焼成をもっていた。 連房式登窯瀬戸美濃において上段焼成室の横幅時期が降るにつれて拡張する傾向があり、17世紀中葉では、第2室と第10室の横幅の差は71センチメートル穴田1号窯の例)であったが、18世紀中葉になると200センチメートル(尾呂3号窯の例)、20世紀前半になると469センチメートル(湯ノ根東窯の例)の差がみられる瀬戸美濃では、18世紀後葉まで、窯の長さ平均13 - 15間で焼成室の数も間数同じくらいであったが、美濃では19世紀になると30房になるものもみられる。また瀬戸焼成室は、横幅拡張するが、奥行きについては17世紀元屋敷窯において1.36メートル18世紀前半から中葉の尾呂1号窯では0.98メートルとやや縮小した18世紀後葉のかみた1号窯で1.17メートル19世紀前葉の勇右衛門窯で1.76メートル20世紀の窯である湯ノ根東窯でようやく2.18メートル達したこのように瀬戸では肥前17世紀末に奥行き4メートル達したのに対し奥行き拡張しなかったのが大きな特徴である。

※この「階段状連房式登窯-肥前と瀬戸・美濃の違い」の解説は、「連房式登窯」の解説の一部です。
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