阪神のドラフト会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:29 UTC 版)
「カーネル・サンダースの呪い」の記事における「阪神のドラフト会議」の解説
また、阪神は日本一前年、即ちカーネル「受難」の前年の1984年(昭和59年)にドラフト1位で競合した嶋田章弘をクジで引いたのを最後に、その後12回のドラフト1位指名選手の競合で当たりクジを一切引いていなかった。詳細は以下の通り(表記はドラフト会議の年度、指名選手、競合球団数、交渉権獲得球団の順)。 1985年 - 清原和博(6球団競合、西武) 1986年 - 近藤真一(5球団競合、中日) 1987年 - 川島堅(3球団競合、広島) 1989年 - 野茂英雄(8球団競合、近鉄) 1990年 - 小池秀郎(8球団競合、ロッテ・ただし入団拒否) 1992年 - 松井秀喜(4球団競合、巨人) 2006年高校生 - 堂上直倫(3球団競合、中日) 2007年高校生 - 中田翔(4球団競合、日本ハム) 2007年大学生・社会人 - 大場翔太(6球団競合、ソフトバンク) 2008年 - 松本啓二朗(2球団競合、横浜) 2009年 - 菊池雄星(5球団競合、西武) 2010年 - 大石達也(6球団競合、西武) さらに2008年の松本の際は外れ1位で指名した藤原紘通(2球団競合、楽天)も外している。ただし、中田の外れ1位で指名した髙濱卓也の交渉権は獲得している。 しかし、2012年度の会議において、藤浪晋太郎を引き当てたことでこのジンクスは途切れた。
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