阪神からオリックスへ移籍するまでの経緯(2020年)
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阪神最終年の2020年には、現役引退を覚悟しながら、春季キャンプからセットアッパーとして調整を続けていた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響でレギュラーシーズンの開幕が延期されていた5月に3週間ほど練習の中断を余儀なくされた影響で、シーズンに入ってからも調子が戻らなかった。本人曰く「(2020年シーズンは)消化不良だった」とのことで、2021年の戦力構想から外れていることを球団から伝えられると、家族への相談を経て他球団での現役続行を決定。これに対して、京セラドーム大阪を本拠地に使用するオリックスが、救援での起用を視野に獲得へ名乗りを上げた。 阪神時代の能見は、2016年以降の毎年1月に、後輩投手(岩貞祐太など)を率いて沖縄県内で合同自主トレーニングを実施。阪神で最後に登板した2020年のレギュラーシーズン最終戦で、後輩野手の梅野隆太郎や大山悠輔から涙ながらに見送られるなど、チームメイトから慕われていた。 その一方で、オリックスでは左投手に20代の選手が多く、2020年シーズンの一軍では左の救援要員が手薄な状況にあった。このため、能見に対しては、投手陣への助言や若手捕手の育成に対する期待を込めて「救援投手と一軍のブルペン担当投手コーチの兼任」という異例のオファーを提示。能見も、2020年12月8日の初交渉でこのオファーを受け入れたため、「投手兼投手コーチ」という異例の契約で移籍に至った。ちなみに、投手兼任コーチとしての契約に際しては、「(自分は)口数が多い方ではないので、『(野球に取り組む)姿勢を(若手の投手や捕手に)黙って見せようかな』と思う。その姿勢や(自分の)行動から、何かを感じてもらえれば良い」との抱負を述べている。
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