開発に至る経緯・新町名成立までの道のり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 05:18 UTC 版)
「おおつ野」の記事における「開発に至る経緯・新町名成立までの道のり」の解説
(この節の出典) 上記のように、1972年(昭和47年)に株式会社茨城開発が田村・沖宿地区の用地買収をはじめた。当時の田村・沖宿地区の農家は、国の減反政策の影響を受けて米などから蓮根栽培に切り替える農家が増えていた。北部の台地は耕作放棄地が増え荒れ地となっており、農家の多くは用地買収に応じたという。 しかし、1973年(昭和48年)に起きたオイルショックをきっかけに株式会社茨城開発は倒産する。買収された農地は10年以上放置されさらに荒れた状態になっていた。 1983年(昭和58年)ごろから、放置された土地を川鉄商事株式会社(現在のJFE商事。現在もおおつ野ヒルズの土地販売を行っている)が取得しはじめる。この年に沖宿・田村・手野の三地区で三地区連絡促進協議会が発足、同年9月には田村・沖宿土地区画整理組合が発足する。このような流れを経て、1990年(平成2年)に事業の起工式が行われた。開発工事の際に行われた発掘調査では、田村・沖宿遺跡群をはじめとする多数の古代を中心とする遺跡が出土している。 1998年(平成10年)に新町名「おおつ野」が成立した。
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