開発に到った経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/12 18:14 UTC 版)
「キャメルバック式蒸気機関車」の記事における「開発に到った経緯」の解説
ウーテン式火室の開発者は、ジョン・E・ウーテン(John E. Wootten)である。ウーテンは、1866年からフィラデルフィア・レディング鉄道(Philadelphia and Reading Railroad)の動力車部門の最高責任者の地位にあった。1876年からは総支配人となった(この鉄道は、のちにレディング鉄道と呼ばれるようになった)。 ウーテン式火室は、細かく砕かれた無煙炭を燃やすのに適している。この無煙炭は下等無煙炭や無煙炭廃棄物とも呼ばれ、この機関車が登場する以前は、商業的に価値がなく、値段も非常に安かった。 ウーテンは、積み上げられた無煙炭の山を見て考えた。もしこの無煙炭をうまく燃やすことができる火室を作ることができたら、どんなに良いだろう。無煙炭は有り余っているのだし、値段も非常に安いのだから。そして、いくつかの実験を経てウーテンは、広くて大きな火室を用いて、投炭された石炭の層を薄くし、穏やかな通風でゆっくり燃焼させるのが最良の方法であると結論を出した。 当時の蒸気機関車の火室は、左右に二つある台枠の間に収めるために細くて奥行き方向に長い形をしていた(火室を従輪で支える方法は、まだ開発されていなかった)。そこでウーテンは、必要とされる巨大な火室を、動輪の真上に置いた。ところが、ここで問題が起きた。ウーテン式火室はたいへん大きく運転台を今までの位置に置くと前が見えず、かといって火室より上(つまりすでに高い位置にあるウーテン式火室基準の高さで後部にさらに高い運転台を作る)にキャブを置くと車両限界を超えてしまう。 それを解決するために、キャメルバック式蒸気機関車では、機関士が乗務する運転台はボイラーをまたぐ形(屋根高さは以前とさほど変わらない)で置かれた。一方、石炭をくべる機関助士は、ボイラーの後部にほとんどむき出しの状態で乗務することになった。 また、低質な無煙炭を大量に投炭して燃焼させると、不純物が溶解してクリンカーを形成して火格子の目が詰まり火室内の通気を悪化させるため、ウーテン式火室を備えた機関車では、火格子を常時揺すって灰分を強制的に灰箱へ落下させる、動力火格子装置を搭載する必要があった。
※この「開発に到った経緯」の解説は、「キャメルバック式蒸気機関車」の解説の一部です。
「開発に到った経緯」を含む「キャメルバック式蒸気機関車」の記事については、「キャメルバック式蒸気機関車」の概要を参照ください。
- 開発に到った経緯のページへのリンク