門寄り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:24 UTC 版)
境内を走り出た赤鬼は、御旅所の談合神社に詣でて戻る道中、氏子各町およそ9キロメートルの道のりを、約9時間で駆け巡る。この道中でも白い粉をたっぷりとつけたタンキリ飴を通行人に投げつけ、振り撒いていく。なかでも、若い娘や着飾った女性は必ずタンキリ飴の洗礼を受けるという。 赤鬼を先頭とする行列は数十人、数十メートルの長さに及び、最後尾を守る役は「後刈(あとがり)」とよばれる。途中に立ち寄る氏子各町に縁の家は150とも200軒以上ともいわれ、赤鬼はタンキリ飴を差し出し、家の主人が丁重に受け取る「御手自(おてずか)」の儀式が行われる。これを、門寄りという。この際、赤鬼が頭を撫でると厄が落ちるといわれる。 門寄りで立ち寄る先は毎年固定ではないため、順路も毎年異なる。 道中、神役の実家の前など、数カ所で撞木投げを行う。1度に3回撞木を投げ、武器を投げ捨てる所作で平和が訪れたことを表す。 御旅所の談合神社では、橙を献上する神事を行い、さらに町内をまわった後、安久美神戸神明社に戻り、鬼面を社に献上する。最後に儀調場で、撞木を3度高く投げ上げて神事を終える。 赤鬼が去ったあと、天狗も同様に氏子町内を巡回するが、両者が町内で遭遇することは絶対にない。また、子鬼も赤鬼とほぼ同じ距離、8キロメートルを約8時間で駆け巡る。門寄りは深夜まで及び、すべての祭礼行事が終わるのは、日付が変わることもある。 このほか、前田町一丁目による「巨木撞木」の練り歩きなどが行われる。前田町一丁目は、豊橋市の区画整理により分かたれるまで、中世古町に属していた。 20世紀末頃から青鬼の補佐をし、会所(休憩所)を提供する八町通四丁目の子供神輿も巡行するが、これは鬼祭とは直接関わりのない、八町通四丁目独自の神事である。戦災で本来の氏神が社を焼失したため、安久美神戸神明社に合祀されたことによる。
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