タンキリ飴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:24 UTC 版)
タンキリ飴(中世古町) 赤鬼が天狗にはかなわず、自らの罪の償いに穀物で作った白子餅を里人に配ったのがはじまり。また、痰を切る時になめる飴、短く切った飴といういわれがある。豊橋鬼祭では、門寄の先々で配るほか、白粉(うどん粉)と一緒に見物客に振り撒かれる。この飴を食べたり、白粉を浴びると厄除けになり夏病みしないといわれる。この飴にまぶす白い粉は、湿気を防止する「タルク」という食品添加物が用いられる場合もある。 古くは米を練って作る白粉餅が用いられたが、江戸時代には「海苔売も 飴拾いけり 鬼祭」と詠まれた句があるように、現代の飴撒きの形に変化していたとみられる。サツマイモを原料とする飴であったと伝わる。太平洋戦争中の物資不足の折には、飴無しで、牡蠣殻をすりつぶした粉を撒いた時期もあった。 祭で撒かれるタンキリ飴は、各町により飴色や袋の色にちがいがある。神社社務所で販売するものには神宝抽選券が付随する。祭礼時に露店で販売されるものは豊橋市内の製菓業・松葉製菓の晒飴などで、白色の飴のほか、赤や緑に着色したものを混ぜて販売される。中世古町(赤鬼)では飴430キログラムに飴粉1.1トン(約3万6千袋)、札木町(子鬼)では飴360キログラムに飴粉500キログラム(約3万袋)、八町通三丁目(青鬼)では飴250キログラムに飴粉700キログラム(約4万袋)の飴が使用される。また、飽海町(天狗)ではあられが、曲尺手町(笹良児)ではクッキーが、旭町・旭本町(司天師)では落花生が、他町のタンキリ飴同様に撒かれている。 なお、タンキリ飴は豊橋市内の各所で常時製造され、鬼祭の時以外にも販売される三河地方の郷土菓子であり、豊橋の製菓業にとっては主力製品のひとつである。
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