長期斡旋停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:31 UTC 版)
2005年終盤から2006年にかけて、福田はまったくレースに出なかった。当時の公式発表では「欠場」と記載されていた。そして、2006年3月、日本小型自動車振興会は「小型自動車競走実施規則第41条2項、及び第42条、第82条に規定する『小型自動車競走に参加して、競走車(二輪車)構造基準』に違反したことが明らかとなったため出場斡旋のの停止を行う。」として、三年間の長期斡旋停止処分を下すと発表した。 福田がどのような違反をしたかに関する具体的な説明は未だ為されていない。だが、3年という斡旋停止期間が、小型自動車競走実施規則に規定される最長の斡旋停止期間であることから、かなりの確率で恒常的に何らかの違反行為を行っていたと考えられる。また、福田の年齢を考えると、3年という斡旋停止期間は事実上の「引退勧告」に等しいものであった。 この「違反」に関しては諸説ある。一つは、エンジンオイルにニトロメタンを混入したとする説である。ニトロメタンは、空気中の燃焼範囲がガソリンと比較して実に広範囲であり、また、空燃比濃度がメタノールよりも濃いため、エンジン加速度が増すという特徴がある。これを添加剤として混入し、競走車の性能向上を謀ったのが判明し、処分を受けたというものである。 もう一つの説が、エンジンの完全分解、及び部品等の不正加工を行っていたとする説である。これらの行為は1993年10月のセア一斉乗り替え以前は認められていたが、セアに移行してからは一切禁止されている。そこで、整備費用の節約と競走車の性能向上を謀ってこれらの整備違反をし、それが判明したために処分されたとする説である。
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