長期旅行における作品群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:01 UTC 版)
「ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」の記事における「長期旅行における作品群」の解説
1881年から翌年にかけて、オーストリア・ハンガリー帝国首都ウィーンや、ドイツ首都ベルリンなどに長期旅行に出かける。湯治で滞在中のドイツ西部のバート・エムスでは、聖アレクサンドラ教会の祭壇にキリストの復活を描いた。さらに1884年には二度目のインド旅行を行い、シリアやパレスチナにも足を延ばした。 パレスチナの聖地を訪れた彼は、キリストの生涯を描いた一連の作品で、それまでの西欧におけるヨーロッパ化されたキリスト像ではなく、現地で実際に見聞した風俗や風景を描きこんだ自然主義的な手法を用い、キリストを中東の人間として描いて物議を醸した(但し正教会のイコンは西欧の絵画とは違い、元々、中東の人間としてキリストを描いている)。 彼の脚はさらに故郷ロシア、東ヨーロッパ、さらにアメリカ合衆国にまで延びる。アメリカから米西戦争の戦場となっていたキューバ、フィリピンを訪問。さらに1903年に日本の京都や日光を訪問。日本の文化や歴史に親しみ、帰国後に日光東照宮や和服姿の女性像などを絵に描いている。
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