野球規則の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:15 UTC 版)
「1876年のメジャーリーグベースボール」の記事における「野球規則の変遷」の解説
ナショナルリーグ及びナショナル・アソシエーションが誕生する以前からベースボールは既に存在し、さまざまな形を生みながら発展してきた。そのスポーツを最初に体系化して野球規則を作ったのはアレキサンダー・カートライトであった。1845年、ニューヨークの若者たちがニッカーポッカークラブ(或いはニッカーポッカーズ)というチームを作り、主にニュージャージー州ホーボーケンで試合を行っていた。そのチームの一員に当時の市消防局に勤務するアレキサンダー・カートライトがいた。彼は常々口伝えでの決まり事で試合をすることが、それぞれで問題を起こしていることから、文章による「ルールブック」の作成を思いついた。そこで友人のウエイドワースの助けを借りて調べて、それまで野球の進行に存在していた決まり事の「マサチューセッツ・ゲーム」と「フィラデルフィア・ゲーム」の長所を採り入れるとともに、自分のアイデアも加味して、最初の野球の体系的なルールを作った。やがてニッカーポッカークラブがこれを初めて徐々に普及させ、間もなく「ニューヨーク・ゲーム」と呼ばれるようになった。そのルールは以下の通りである。 1845年チームが守備につく時は9人とする(それまでは無制限であった)。9人はそれぞれレギュラーポジションを決める。塁間は90フィート。投手と捕手の間は45フィート。 チームの片方が21点取れば試合終了とする。 投手はアンダーハンド(下手投げ)で投げる。 打者が打ったゴロを守備側が先に打者及び既走者が進塁すべき塁に先に送球するか(それまでは球をぶつけていた)、或いは塁間で球を持った守備側が手に持った球で触れればアウト。三振した球を捕手が取る、打った球をフライで守備側が捕球するか並びにワンバウンドで捕球した場合もアウト。3つのアウトで攻守を交代する。 3つのアウトで攻守を交代する。 これらのルールは初期のスポーツ雑誌でヘンリー・チャドウィックが紹介し、大々的に取り上げて報道したのでニューヨークを中心に広がり、当初は「ニューヨーク・ゲーム」と呼ばれ、やがて「ベースボール」と呼ばれるようになった。その後の変遷は以下の通り。 1857年試合の終了を、それまでの21点先取から現行の9回までとした。 1859年バットの太さを2.5インチ以下と規定した。 1863年ボールとストライクをコールするようになった。またボークも規定された。 1864年それまでワンバウンドでの捕球はアウトであったのが、ノーバウンドでの捕球のみアウトとなった。 1871年打者が投手に次の投球をハイボール(高め)、ローボール(低め)と要求できるようになった。
※この「野球規則の変遷」の解説は、「1876年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「野球規則の変遷」を含む「1876年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1876年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- 野球規則の変遷のページへのリンク