野球漫画で大ヒット
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1964年、日の丸文庫専属を経て独立、上京。『週刊少年キング』で多くの作品を描く。本格的な野球漫画として1969年に『エースの条件』を発表。1970年から『週刊少年サンデー』や『週刊少年チャンピオン』に仕事の幅を広げ、最初の大ヒットとなる『男どアホウ甲子園』、『銭っ子』をそれぞれ連載。 1972年からは『月刊少年マガジン』で『野球狂の詩』を読み切り不定期掲載、『週刊少年チャンピオン』で『ドカベン』を連載開始。1973年からは『ビッグコミックオリジナル』で『あぶさん』を連載開始。青年漫画にも進出する。『あぶさん』は2014年に完結するまで、41年にわたる長期連載となった。 この頃より上記の連載作品が人気を博し、野球漫画の第一人者としての地位を確立する。以降1975年に『男どアホウ甲子園』の続編『一球さん』を『週刊少年サンデー』に、1976年に『球道くん』を『マンガくん(少年ビッグコミック)』に発表。1977年からは野球漫画専門誌『一球入魂』を創刊して編集長となり、『ある野球人の記録』(単行本では『白球の詩』)を連載する。これらの主要な作品は各々長期の連載となり、野球漫画の名作という評価を得ていく事になる。1981年にはプロ野球機構そのものをすべてオリジナルで作る壮大で野心的な作品『光の小次郎』を『週刊少年マガジン』に発表した。 1977年ごろの、「知名人」(もしくは「著作家」)の所得番付で一位になったと、自ら語っている。 漫画家初期はサイクルサッカーなど野球以外のスポーツ漫画も多く手がけていた。野球漫画を描かなかった理由は、打つ・走る・投げるなど本物に近い絵を描きたかったが絵が下手だったので、一番好きな野球のジャンルを描ける自信が付くまで10年かかったためであるという。
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