都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン開発とは? わかりやすく解説

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都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:20 UTC 版)

日本の脚気史」の記事における「都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン開発」の解説

動物実験ヒト食餌試験」という新手法国内導入先頭立ったのは、帰国した都築であった都築は、動物脚気発生実験エイクマン追試)を行い1910年明治43年3月調査会4月日本医学会発表した動物実験終了し、糠の有効成分研究抽出と効否試験)に進んでいることを公表したのである。また1911年明治44年)、都築志賀潔1910年明治43年8月委員となる)は、臨時脚気調査会附属研究室で、脚気患者対象米糠の効否試験行ったその結果服用者の58.6%が治癒ないし軽快した。効否を判定できる数値ではなかったものの、試験重ね価値は十分あった。しかし、都築12月9日委員辞任し、また糠の有効性信じ委員がいなかったため、米糠の効否試験1年終わった都築は、翌1911年明治44年4月東京医学総会で「脚気動物試験第二回報告」を発表し、また辞任していたものの、委員長配慮によって調査会でも発表した俗説伝染病説を盲信しそれ以外の説を排斥しかのようにいわれるが、必ずしもそうではなく都築未知栄養欠乏説にかなり理解示していたとの見解もある。一方では、脚気栄養障害説が正しいことを知りながら、敢えてそれを否定細菌原因説に固執していたとの見解もある)。その内容は、糠の有効成分(アンチベリベリン原液)を抽出するとともに、それでヒトの脚治療試験をしたというものであり、世界先行した卓越した業績であった。さらに脚気原因は、未知不可欠栄養素欠乏よるものであると認定し、そのために主食白米)だけが問題ではなく副食の質と量が脚気発生大きく関係する、と指摘した。これは今日医学にも、そのまま通用する内容であり、特に副食への着眼は、先人誰も気づいていないものだった。 「第二回報告以後も、都築はアンチベリベリンの研究励み、ついにその製剤治療薬として販売した1911年明治44年4月アンチベリベリン粉末丸などを販売同年9月注射液を販売)。有効な脚気がなかった当時ビタミンB1抽出剤(ただし不純化合物)のアンチベリベリンの評判高く、「純粋」ビタミンB1剤が登場する昭和期のはじめまでよく売れ広く愛用されることになる。

※この「都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン開発」の解説は、「日本の脚気史」の解説の一部です。
「都築甚之助の動物脚気実験と製糠剤アンチベリベリン開発」を含む「日本の脚気史」の記事については、「日本の脚気史」の概要を参照ください。

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