都立高校教師時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 都立高校教師時代の意味・解説 

都立高校教師時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 01:18 UTC 版)

米村でんじろう」の記事における「都立高校教師時代」の解説

自由学園教師面白さ知り1984年東京都教員採用試験を受け合格した1985年度(昭和60年度)より、東京都立稲城高等学校理科教師(物理)として赴任した稲城高校は、米村によると「生徒落ちこぼれ授業中漫画読んだり、黒板向かっている間に数人教室抜けたりして、とても授業にならなかった」という状況であった。また「高校進学時期になると『あの学校無くなってしまうらしい』という噂が中学生の間に流れるような状況であった」としている。このとき、生徒理科関心持てるように、「百人おどし」(後述)の実験をしたり、野外観察生徒たち連れ出して野草木の実ビーカー茹でて食べられるかどうかを、生徒たち自主的に調べるように仕向けたりした授業行ったこのころMr.マリックテレビで脚光を浴びた時期であり、生徒米村に「超能力はあるのか?」と質問してくることもあった。これをヒント授業超能力取り上げ超能力について生徒考えさせる授業方法模索行った。 この時期東京学芸大学大学院先輩で、当時国際基督教大学高等学校物理教師をしていた滝川洋二も、学校教育での「理科離れ」の状況危機感持っていた。滝川理科離れ食い止めるためには実験による授業が重要であると考え1986年1月に「物理教育実践検討サークル」を立ち上げた。後にサークルは「ガリレオ工房」と改称することになる。このサークルに、滝川大学院時代後輩である米村誘った滝川によると、米村ガリレオ工房定例会毎回新しく開発した実験持ち込み披露していた。一時期毎月1時間程度米村講座が続くような情況であったという。 1993年4月より東京都立小金井北高等学校赴任した米村回顧によると「(小金井北高校は)進学校で、実験授業大学受験役に立たず生徒やその父母から評判良くなかった」という。また教頭呼び出され「君が教師になったのは間違いだ」と言われたこともあった。 このころから、米村NHK教育テレビ番組製作手伝ようになった。「やってみようなんでも実験」では自ら出演して実験披露するようにもなった。また、展示内容リニューアル計画していた科学技術館より、サイエンスショーエリアのプロデュース依頼された。

※この「都立高校教師時代」の解説は、「米村でんじろう」の解説の一部です。
「都立高校教師時代」を含む「米村でんじろう」の記事については、「米村でんじろう」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「都立高校教師時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「都立高校教師時代」の関連用語

都立高校教師時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



都立高校教師時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの米村でんじろう (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS