都市国家の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 08:58 UTC 版)
有史時代になって、この地方の中央部に位置し強大な軍事力を持つことから、テーバイがボイオーティアの中心都市となった。この他には、オルコメノス、プラタイア、テスピアイといった都市があった。テーバイは、アテナイがアッティカの国家群を併合したように、他の都市を吸収して単独国家となろうという野望を恒常的に持っていた。しかし、中心から離れた都市群がこの政策を阻むことに成功し、最初は単に宗教上の、緩い同盟を形成するにとどめた。 同様の緩い都市国家同盟を形成していたアルカディア人とは異なり、ボイオーティア人は通常、外敵に対しては一つになっていた。その間、都市間の争いは国家の発展のため厳しく抑制されていた。紀元前6世紀後半までボイオーティアはほとんど歴史に出てこない。それ以前はボイオーティア人の名は主に、アテナイのディピュロンに似た幾何学的陶器の制作者として知られていた。紀元前519年頃、テーバイの同盟政策へのプラタイアの反抗が、アテナイの代理干渉を導いた。この時と紀元前507年、アテナイ人はボイオーティア兵を破っている。 紀元前480年、クセルクセス1世によるギリシャ進攻(ペルシア戦争)に際して、テーバイはペルシアを支援した。その結果、戦後テーバイはボイオーティア同盟の盟主権を剥奪された。紀元前457年、スパルタがテーバイの盟主権を回復させたが、これはタナグラの戦い以降、アテナイの攻撃に対する防波堤にするためだった。アテナイはその報復にボイオーティアに突然侵攻し、オイノフュタの戦いの後、テーバイを除くボイオーティア全土を支配した。アテナイはボイオーティアに新たに民主主義を導入し、10年間、それは行使させた。しかし紀元前447年、ボイオーティアは反乱を起こし、その年のコロネイアの戦いで自治を回復した。
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