選手としての特徴・不正投球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 23:50 UTC 版)
「ゲイロード・ペリー」の記事における「選手としての特徴・不正投球」の解説
MLB史を代表するスピットボーラーであり、ボールにワセリンやポマードをつけ、時には紙ヤスリで細工して投げていたという。ジャイアンツで2年間チームメイトだった村上雅則も「ペリーはスピットボールを投げていた」と証言している。しかし誰も証拠を掴めなかったため、引退前年の1982年8月23日に通常考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場処分になったことはなかった。また、別のある試合では「怪しい」と感じた審判がペリーを調べたところ、手の中からただの紙がでてきて、紙には「こんなところには隠さないよ。まだまだ甘いね。」と書いてあったという。 1970年春にジャイアンツが来日し、日本各地でオープン戦を行ったが、日本でもスピットボールやグリースボール、エメリーボールを投げた跡がボールから見つかった。審判はまるで気がつかず、「さすがは達人」と唸ってしまい、そのボールを見た伊東一雄は感激したという。 ペリーがインディアンスからレンジャーズにトレードされた経緯にはペリーの人種差別的な態度があった。当時のインディアンスの監督はMLB初のアフリカ系アメリカ人監督であるフランク・ロビンソンだったが、ペリーは「あの黒人監督以上のサラリーが貰えなかったら俺はこのチームを出る」と発言した。しかし、球団はペリーの昇給もロビンソンの減給も拒否し、そして持て余したことで画策されたトレードでレンジャーズにトレードされたのである。 引退後には、新聞記者ボブ・スーダイクとの共著で自伝『私とスピットボール』(原題:Me and the Spitter;: An Autobiographical Confession)を出版。「通算300勝を達成した時にはボールに歯磨き粉をつけて投げていた」等と現役時代のスピッターぶりを告白している。また、自身が反則投球に使用したワセリンを販売する会社を経営している。 バッティングは苦手で、メジャー2年目の1963年には「俺がホームランを打つ前に人類は月へ行くだろう」と語っていた。事実、1969年7月20日午後4時17分にアポロ11号が月面に着陸。その直後に初本塁打を打っている(通算では6本打った)。
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