道行文と地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:08 UTC 版)
本地語りは、限られた日常的な時間・空間から聴衆を解き放ち、非日常的な、未知な領域へ引き入れていくという効果もあったと思われる。しかし、これは遠国の霊地や霊仏を実見し、それにまつわる霊験譚や因縁話を熟知していなければ語り出せない性質のものでもあった。 それと同様に、説経節に特徴的な詞章として道行(旅)の過程を述べた「道行文」がある。『平家物語』や『太平記』にも名所案内も兼ねた道行の場面があらわれるが、代表的な説経節といわれる『かるかや』『さんせう太夫』『をぐり』『しんとく丸』『あいごの若』もまた、いずれも道行文を含んでいる。また、地名については、作品の内容そのものに直接の関係が全くないにもかかわらず、具体的な特定の地名をはっきりと述べていることが注目される。 『土佐日記』『伊勢物語』以降の上古・中古の文学にあっては、歌も物語も、場所と内容とが互いに分かちがたく結びついており、能楽や軍記物における道行の下りは、たえず土地の歴史をふりかえる素材となり、また、土地情報の圧縮版のような意味合いがあった。これは、説経節においても同様であり、人びとは地名を聴くだけで過去の出来事や歌・物語・人物などを想起し、しばしばこの部分だけの語りを演者に求めることさえあったようである。なお、室木弥太郎は、それが実際に語られた場所に応じて、地名を入れ替え、庶民が当該地において篤く信仰した神仏を引き合いに出すことによって、その物語のリアリティを保証する意味もあったのではないかと推定している。 一方、道行の詞章には正本による限り、季節の描写が確認できない。これは、説経の者たちがどの季節に語っても、聴衆にそのときどきの季節として想像してもらうためであろうと考えられる。
※この「道行文と地名」の解説は、「説経節」の解説の一部です。
「道行文と地名」を含む「説経節」の記事については、「説経節」の概要を参照ください。
- 道行文と地名のページへのリンク